光胤山本光寺|市川市大野町にある日蓮宗寺院
本光寺の概要
市川市大野町にある日蓮宗寺院の本光寺は、光胤山と号します。本光寺は、中山法華経寺二世日高上人(太田乗明の子息)の俗甥日胤上人が、正平16年(1361)に創建したといいます。
山号 | 光胤山 |
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院号 | - |
寺号 | 本光寺 |
本尊 | 日蓮上人坐像 |
住所 | 市川市大野町3-1695-1 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | 本堂を葬儀利用に開放 |
備考 | 仏画教室、写経会等開催 |
本光寺の縁起
本光寺は、中山法華経寺二世日高上人(太田乗明の子息)の俗甥日胤上人が、正平16年(1361)に創建したといいます。明治維新まで大野天神天満宮の別当寺を務めていました。
境内掲示による本光寺の縁起
日胤上人は正平16年(1361)4月28日に中山より当村(御門)を閑居の地として堂宇を創立、同年5月に中山法華経寺より寺号許可を得、同年(南朝は正平16年・北朝は康安元年)11月17日に遷化されたと言われています。
日胤上人は、中山法華経寺二世日高上人(太田乗明の子息)の俗甥で、日蓮上人の教えを広め、信者を強化育成し、立正安国の聖業に精進されたと言われています。
一説に、当寺は山号を光胤山と称するが、原豊前入道光胤の名前から採ったものであり、光胤は一方で豊前坊なる坊を営んでおり、この坊が当寺の前身であったとも言われています。
光胤は原胤親の子息。通称は孫次郎、官途は豊前守、のち入道として豊前入道、法号は荘覚院。
寛正7年(1466)2月7日、吉川(埼玉県吉川市)での戦いで討死にしました。
2月6日に没したとも言われています。
文化十三年(1816)に第二十三世、日理上人が堂宇を再建しました。
第三十四世、日住上人が昭和42年(1967)に本堂、同46年(1971)に客殿を再建し現在に至っています。(境内掲示より)
本光寺の周辺図
参考資料
- 本光寺公式ホームページ:安心真心の寺『供養と祈願の本光寺』 永代供養,水子供養,厄除けは本光寺へ
- 関連ページ:衝撃的なお寺のCM:千葉県市川市 本光寺
参考資料
- 「市川市内の寺院明細帳」