關東山徳蔵寺|市川市関ヶ島にある真言宗系単立寺院
徳蔵寺の概要
市川市関ヶ島にある真言宗系単立寺院の徳蔵寺は、關東山と号します。徳蔵寺は、権大僧都乗意法印が天正3年(1575)に創建、昭和31年には関ヶ島の宝性寺(本尊不動明王像)を合併しています。行徳・浦安観音霊場三十三ヵ所18・19番です。
山号 | 關東山 |
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院号 | - |
寺号 | 徳蔵寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 市川市関ヶ島8-10 |
宗派 | 真言宗系単立 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
徳蔵寺の縁起
徳蔵寺は、権大僧都乗意法印が天正3年(1575)に創建、昭和31年には関ヶ島の宝性寺(本尊不動明王像)を合併しています。
境内掲示による徳蔵寺の縁起
天正三年(一五七五)に建立された真言宗の寺院。毎月二十八日には不動堂で護摩が行われ、八月二十八日には縁日が開かれる。
当山には享保十六年(一七三一)の弘法大師、興教大師像をはじめ密教独特の仏像・仏画・曼荼羅、また中世根来版などの密教聖教、鉄眼版一切経等を所蔵するが度重なる津波等により歴史的資料は乏しい。
境内の宝篋印塔(安永三年・一七七四)には関ヶ島の別称「六軒」が刻まれている。また「関ヶ島村十九夜講」で使われていた鉦(天明元年・一七八一)が保管されており、この十九夜講との関わりか女性の供養の為に建てられた如意輪観音の石仏が多い。
昭和三十一年(一九五六)には関ヶ島の宝性寺を合併、同寺から移された境内の常夜灯(天保二年・一八三一)および本堂安置の不動明王厨子(天保六年・一八三五)には、かつて行徳街道にあった旅籠十二軒のうちの一つ「淡雪楼」の名が見える。なお常夜灯には安政の大地震の様子が記されている。(境内掲示より)
「市川市内の寺院明細帳」による徳蔵寺の縁起
天正三乙亥年創立、宗祖弘法大師法孫分派開祖興教大師法孫権大僧都法印乗意開基(「市川市内の寺院明細帳」より)
徳蔵寺の周辺図
参考資料
- 「市川市内の寺院明細帳」