明星山日澄寺|小松原殉教吉隆公旧跡の寺院
日澄寺の概要
日蓮宗寺院の日澄寺は、明星山と号します。日澄寺は、日蓮聖人が文永元年(1264)の小松原法難の折、救援に向かい戦死した天津城主工藤左近尉吉隆公(妙隆院日玉)の嫡子日隆が、居館を一寺として弘安5年(1282)に創建したといいます。開基は日蓮聖人、2世日玉(工藤吉隆)・3世日暁(鏡忍坊)・4世日隆(工藤吉隆の子)と、法難に殉じた法弟を歴世とする、小松原殉教吉隆公旧跡の寺院です。
山号 | 明星山 |
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院号 | - |
寺号 | 日澄寺 |
住所 | 鴨川市天津1850 |
宗派 | 日蓮宗 |
縁日 | - |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
日澄寺の縁起
日澄寺は、日蓮聖人が文永元年(1264)の小松原法難の折、救援に向かい戦死した天津城主工藤左近尉吉隆公(妙隆院日玉)の嫡子日隆が、鏡忍寺を創建、さらに居館を一寺として弘安5年(1282)に創建したといいます。開基は日蓮聖人、2世日玉(工藤吉隆)・3世日暁(鏡忍坊)・4世日隆(工藤吉隆の子)と、法難に殉じた法弟を歴世とする、小松原殉教吉隆公旧跡の寺院です。
「日蓮大聖人立教開宗七百五十年慶讃房州聖蹟巡り」パンフレットによる日澄寺の縁起
日澄寺
小松原殉教吉隆公旧跡
(日蓮聖人)小松原法難の際殉教した天津の城主工藤吉隆公(妙隆院日玉)の遺子日隆が、父の菩提を弔うため自らの居城を寺とした。境内には吉隆の墓所があり、堂内には吉隆の尊像を安置してある。(「日蓮大聖人立教開宗七百五十年慶讃房州聖蹟巡り」パンフレットより)
境内掲示による日澄寺の縁起
明星山日澄寺
当山は文永元年(一二六四)十一月日蓮聖人小松原法難の折に殉教した天津領主工藤左近尉吉隆の居館でしたが、その嫡子日隆が父の菩提を弔うためにこれを寺とされました。
吉隆は鎌倉幕府出仕中、四条金吾、池上宗仲とともに日蓮聖人に深く帰依し、宗祖伊豆流罪中も遠く志を馳せて聖人を外護し、宗祖も四恩抄をしたためて吉隆を教化されています。文永元年秋、宗祖は母の病気見舞に小湊へ帰られましたが、御逗留地西条花房の蓮華寺から天津の工藤吉隆の館を尋ねる道すがら、東条の松原で地頭東条景信の伏兵に襲撃されたのが世にいう宗祖小松原法難であり、この法難で宗祖は眉間に三寸余りの刀傷をうける危難にあわれ、救援に駆けつけた工藤吉隆は討死されました。宗祖は吉隆の霊を弔うために出家の礼をとり、妙隆院日玉上人の法号を授与されました。吉隆の不惜身命の法勲を当山が今に伝えております。(境内掲示より)
日澄寺の周辺図