妙日山妙蓮寺|鴨川市小湊にある日蓮宗寺院

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妙日山妙蓮寺|日蓮聖人ご両親のご廟所

妙蓮寺の概要

日蓮宗寺院の妙蓮寺は、妙日山と号します。妙蓮寺は、建長5年(1253)に立教開宗した日蓮聖人が、第一に父母を教化、正嘉2年(1258)に逝去した父「妙日」の霊所に、文永4年(1267)に逝去した母「妙蓮」の墓塔を建てて、両親の法号より妙日山妙蓮寺と号したといいます。小湊誕生寺三世静上人がここに両親閣を建立、「両親閣」として広く知られ、御両親大孝の霊場として日蓮宗宗門史跡に指定されています。

妙蓮寺
妙蓮寺の概要
山号 妙日山
院号 -
寺号 妙蓮寺
住所 鴨川市小湊129-1
宗派 日蓮宗
縁日 -
葬儀・墓地 -
備考 -



妙蓮寺の縁起

妙蓮寺は、建長5年(1253)に立教開宗した日蓮聖人が、第一に父母を教化、正嘉2年(1258)に逝去した父「妙日」の霊所に、文永4年(1267)に逝去した母「妙蓮」の墓塔を建てて、両親の法号より妙日山妙蓮寺と号したといいます。小湊誕生寺三世静上人がここに両親閣を建立、「両親閣」として広く知られ、御両親大孝の霊場として日蓮宗宗門史跡に指定されています。

「日蓮大聖人立教開宗七百五十年慶讃房州聖蹟巡り」パンフレットによる妙蓮寺の縁起

妙蓮寺
御両親大孝の霊場
文永四年(1268年)日蓮聖人の母君妙蓮尊尼がご入寂の折、聖人は父君妙日尊儀の霊所に、母君の墓塔を建て、自から両親の法号をとられ、妙日山妙蓮寺と命名。
誕生寺三世静上人がここに両親閣を建立。(「日蓮大聖人立教開宗七百五十年慶讃房州聖蹟巡り」パンフレットより)

境内掲示による妙蓮寺の縁起

両親閣妙蓮寺(日蓮宗)
当山は、日蓮聖人の御両親のご廟所(墓所)です。
聖人の父は貫名次郎重忠、母は梅菊といいます。建長五年(一二五三)立教開宗した聖人は、第一に父母を教化し、父に、「妙日」、母に「妙蓮」という法名を与えられました。
父「妙日」は、正嘉二年(一二五八)二月十四日母「妙蓮」は、文永四年(一二六七)八月十五日逝去し、この地に葬られました。以来、聖人の両親のご廟所とそれを護持するための堂宇が建立され、今日に至っています。堂宇は、父母の法名にちなんで、妙日山妙蓮寺と称しますが、特に両親のご廟所ということから「両親閣」として広く知られています。
また、聖人は、母の病の報に接し、文永元年(一二六四)秋、この地に帰り、母の病気平癒を祈願したところ不思議なことに、息絶えた母が蘇生し、更に四ヶ年の寿命を得ました。聖人が両親を慕い孝養を尽した親孝行の霊地として日蓮宗宗門史跡に指定されています。
堂内には、蘇生延寿の祖師として、一木からなる親子三体像が安置されています。(境内掲示より)


妙蓮寺所蔵の文化財

  • 小湊の歌題目(鴨川市指定無形民俗文化財)

小湊の歌題目

天保年間(1830~1844)、誕生寺祖師堂再建の時、基礎造りのため小湊周辺の檀信徒が参集して積極的に土地の整備などが行われ、そのとき人々の口をついて歌われたのが「歌題目」「ひげ題目」であり、それにあわせて踊り出したのが「題目踊り」であったといわれています。日蓮聖人の御一代記が分かりやすく、親しみやすく、調子良くまとめられています。
昭和6年(1931)に行われた日蓮聖人650年遠忌法要には、誕生寺・妙蓮寺を中心とした「題目踊り」が誕生寺に奉納され、昭和56年(1981)日蓮聖人の700年遠忌に際し結成された「小湊題目保存会」によって現在まで保存継承されています。
歌題目は、全国的に見ても伝承事例が激減しており、日蓮聖人生誕の地である本市の民俗芸能遺産としても、保存・継承をしていく必要があります。(鴨川市教育委員会掲示より)

妙蓮寺の周辺図