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香取鳥見神社|柏市布瀬の神社

香取鳥見神社の概要

香取鳥見神社は、柏市布瀬にある神社です。香取鳥見神社は、文武天皇2年(698)の創建と伝えられ、千葉氏やその一門原氏等から崇敬され、社殿が造営されてきたといいます。江戸時代中期の寛延元年(1748)には宝寿院暁慧権僧正の尽力により、京都の嵯峨御所から十六の菊と五七の桐の紋章、及び勅額・副管・添翰・紋章付幕・式刀・高張提灯などが勅使下向のもと下賜されています。明治維新後の社格制定に際し村社に列格、大正4年には村社に指定されていました。

香取鳥見神社
香取鳥見神社の概要
社号 香取鳥見神社
祭神 經津主命、饒速日命
相殿 -
境内社 金毘羅宮
住所 千葉県柏市布瀬1377
祭日 奉射1月11日、例祭10月14・15日
備考 -



香取鳥見神社の由緒

香取鳥見神社は、文武天皇2年(698)の創建と伝えられ、千葉氏やその一門原氏等から崇敬され、社殿が造営されてきたといいます。江戸時代中期の寛延元年(1748)には宝寿院暁慧権僧正の尽力により、京都の嵯峨御所から十六の菊と五七の桐の紋章、及び勅額・副管・添翰・紋章付幕・式刀・高張提灯などが勅使下向のもと下賜されています。明治維新後の社格制定に際し村社に列格、大正4年には村社に指定されていました。

千葉県神社名鑑による香取鳥見神社の由緒

寛延元年(一七四八)に京都嵯峨御所より、当地松沢家出身の暁慧大僧正が菊の御紋章を受領し、香取鳥見神社に収め今日に至る。(千葉県神社名鑑より)

「沼南町史」による香取鳥見神社の由緒

布瀬地区の鎮守である。境内は、古来手賀の島と呼ばれる高台の最東端に位置し、左右と背後とを広遼たる田園に囲まれた森域である。近年に完成した手賀沼の干拓以前までは、あたかも水中に突出した半島さながらの天然の景勝地であった。
創立は古く、由緒によれば、文武天皇の二(六九八)年九月十五日といわれる。のちに、中世には千葉氏やその一門の原氏による庇護を受け、社殿や拝殿などが造営されたという。下って、江戸時代中期の寛延元(一七四八)年七月二十七日には、京都の嵯峨御所から十六の菊と五七の桐の紋章、及び勅額・副管・添翰・紋章付幕・式刀・高張提灯などが、勅使が下向の上で下賜されており、それらのほとんどが現存している。この紋章などの下賜に尽力し、勅使の案内役を任じた者は、布瀬村出身の高僧、暁恵権僧正(一七三一~一八〇三)の青年時代であったと伝えられる。
現本殿は再建のもので、拝殿後部から巡らされた総延長二二間に及ぶ玉垣の中に鎮座する。総欅造り、六尺宮、流れ破風造りであるが、多層の斗栱の上に尾垂木が連出し、諸処に細密な彫刻が施されるなど、精巧をきわめた建造物として、町の指定文化財となっている。起工は天保六(一八三五)年六月一日、上棟は同九(一八三八)年十一月二十四日であり、棟梁は香取郡笹木村の[木かんむりに成]栄輔であった。総工費は、手間賃、百六十三両二分、銀三匁七分五厘、扶持米としで玄米百俵を要した。この巨費の捻出は、当時の布瀬村における鳥魚漁(鴨と魚の漁)と密接な関係があり、主とじて獲物の取引先に当たる江戸の問屋商人などによる浄財奉納金によって賄われた。天保六年六月に建てられた再建碑によれば、「米三拾俵御領主松崎八左衛門源武広/金百両 江戸安鎮町東国屋伊兵衛/金五十両 同町鯉屋七兵衛/金三十両 千住河原鮒屋新兵衛」とあって、これを立証している。
なお、当社は大正四(一九一五)年八月六日には手賀村社に指定されたが、これを機として、同六年に現拝殿が新築されている。広い境内には多くの石祠をはじめ、鴨漁に関する記念碑(昭和十七<一九四二>年十一月一日建立)なども存在し、杉や椎などの古木も多く繁茂して、森閑とした風致を呈している。(「沼南町史」より)


香取鳥見神社の周辺図


参考資料

  • 千葉県神社名鑑
  • 「沼南町史」
  • 「千葉縣東葛飾郡誌」