泉妙見社|柏市泉の神社
泉妙見社の概要
泉妙見社は、柏市泉にある神社です。泉妙見社の創建年代等は不詳ながら、相馬氏の居館址である当地(字中城)に鎮座、相馬氏の鎮守と伝えられ、社の定紋には九曜星と月星が用いられていました。明治43年伊津美鳥見神社に合祀され、現在は伊津美鳥見神社の飛地境内となっています。
社号 | 妙見社 |
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祭神 | 妙見大明神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 千葉県柏市泉414 |
祭日 | - |
備考 | - |
泉妙見社の由緒
泉妙見社の創建年代等は不詳ながら、相馬氏の居館址である当地(字中城)に鎮座、相馬氏の鎮守と伝えられ、社の定紋には九曜星と月星が用いられていました。明治43年伊津美鳥見神社に合祀され、現在は伊津美鳥見神社の飛地境内となっています。
境内掲示による泉妙見社の由緒
この場所は「中城」という小字で、戦国時代に館があったところといわれています、御神体は妙見大明神で、二月二十二日、二十三日に鳥ビシャの神事がおこなわれます。(境内掲示より)
「沼南町史」による泉妙見社の由緒
妙見社(泉字中城414)
現在は泉地区の鎮守に合併されており、独立の法人格はないものの、由緒ある神社のために特記する。
当社は、もと千葉氏の一支族である相馬氏の鎮守と伝えられる。現存する和鏡の刻文によれば、永正九(一五一二)年七月二十二日、泉村氏子中の建立とある。境内は、相馬氏の居城祉である字中城の北辺丘上に位置し、社殿はその物見櫓の跡に相当するといわれる。社の定紋は九曜星と月星とが用いられ、相馬氏のそれに等しい。
戦国時代末期における、相馬氏の没落以降の沿革は不詳であるが、城郭祉に居住した古川三郎兵衛家の内神とされたこともあった。安政四(一八五七)年三月、当社は京都の白河殿から「相馬北斗大神社」の社号扇額を受けた。その際、社号の申請を「相馬神社」としたが、相馬郡の総社のごとき印象を与えるから、”北斗”の二字を加えて許可されたといういきさつがある。
明治四十三(一九一〇)年四月、当社は鳥見神社に合併され、本殿も遷座した。このため、旧地に遺跡碑さえも建立したが、昭和九(一九三四)年十二月三日、再び旧地に一戻された。しかし、公の社号と所有地は失われた。
往古は境内も広く樹木が繁茂し、就中、天を衝くばかりの大杉があったというが、現在はわずかに白木蓮の大木がその面影をとどめている。(「沼南町史」より)
泉妙見社の周辺図
参考資料
- 「沼南町史」
- 「千葉縣東葛飾郡誌」