大井香取神社|柏市大井の神社
大井香取神社の概要
大井香取神社は、柏市大井にある神社です。大井香取神社の創建年代等は不詳ながら、先住者七戸が当地に入植した際、彼らの産土神の香取神宮を勧請したと伝えられ、元和5年(1619)に社殿が再建されています。大井の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し村社に列格、明治41年には地内の浅間神社・風神・天神・大六天・八王子社・厳島神社などを境内へ遷座しています。昭和50年町道(現市道)改修に伴い、境内地の一部が提供されることになり、社殿等を改築しています。
社号 | 香取神社 |
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祭神 | 経津主命 |
相殿 | - |
境内社 | 大杉神社、春日神社、子安・稲荷・天神合殿 |
住所 | 千葉県柏市大井1756 |
祭日 | オビシャ1月20日、夏祭7月26日(大杉社)、例祭10月17日 |
備考 | 旧村社 |
大井香取神社の由緒
大井香取神社の創建年代等は不詳ながら、先住者七戸が当地に入植した際、彼らの産土神の香取神宮を勧請したと伝えられ、元和5年(1619)に社殿が再建されています。大井の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し村社に列格、明治41年には地内の浅間神社・風神・天神・大六天・八王子社・厳島神社などを境内へ遷座しています。昭和50年町道(現市道)改修に伴い、境内地の一部が提供されることになり、社殿等を改築しています。
境内石碑による大井香取神社の由緒
社殿改築並に境内整備記念之碑
当香取神社は古伝によると元和年間以前から此の大井の鎮守として氏子一同朝に夕に神威を仰ぎ神恩を辱うし今日に至ったのであるが今回町道の改修工事に伴い参道の大半が道路敷地に提供することになり境内が狭くなったため聖上陛下の金婚を記念して恭協一心改築の議を進め神社の有する字大六天及字天神山の山林を基本とし氏子も亦浄財を捧げ総工費六千余萬円と二ヶ年の工期を以て本殿幣殿拝殿を建立境内の子安社稲荷社天神社神輿庫等を新築鳥居玉垣御水舎の建設境内の参道並に諸工事を完成し併せて篤信者の諸施設調度品の奉納等により神域維れ改り本日遷座奉祝大祭を斎行し氏子相共に神威の弥高を仰いで洵に感悦に堪えず茲に一同恭敬先人の敬神の美風を作興し神の道を誠の道と戴いて東西睦み相和して社会の福祉を増進し家運長久子孫相継いで神徳を発揚し神恩に報することを誓って記念とす(境内石碑より)
千葉県神社名鑑による大井香取神社の由緒
創建年代は詳らかでないが、社殿の周わりの椎の木より見て今から八〇〇年ほど以前と推測される。元和五年三月に再建されて以来、安永年間に再度建替え、昭和五〇年に鉄筋コンクリート建にして、古い社殿をそのまま新しい本殿の中に収めて祀っている。昔香取より分神される時、利根川から手賀沼に渡り、大井の今のところに祀られたと思われる。一の鳥居が沼から上がった所にあったが、公地のため水田の区画整理をした時に堀り取られて無くなった。(千葉県神社名鑑より)
「稿本千葉縣誌」による大井香取神社の由緒
香取神社
同村大字大井字観音前に在り、境内四百九十九坪、祭神は經津主命にして創建年月詳ならず。境内に老椎あり周圍二丈五尺許、千年前のものなり、株根朽ちて洞をなし中に數人を容るるに足る、遥拝所一及び末社三座あり。 (「稿本千葉縣誌」より)
「沼南町史」による大井香取神社の由緒
大井地区の鎮守である。最近、諸堂宇が改築され、大鳥居が建つなど、境内はいちじるしく整備された。青緑の老大樹の点在する中に作む社殿の新旧が調和して、従来の面目を一新した境内となっている。昭和五十年十一月二十三日に立石された『社殿改築並に境内整備記念之碑』によれば、「当神社は最近町道改修工事のために参道の大半を提供したので、境内は狭隘となった。そのために、社有地の字大六天と天神山両所の払下げ金を基本金とし、これに氏子の浄財を加え、総工費六千余万円と二年の期間を費して、本殿・幣殿・拝殿を建立し、子安社・稲荷社・天神社・神輿庫等を改築し、更に鳥居・玉垣・水屋を具え、参道整備を完成した」とあって、その間の概要が知られる。
当神社の創立は、『神社明細帳』によれば、近世はじめの元和五(一六一九)年二月とされ、同年三月十五日から明治元(一八六八)年十一月までは本多氏の所領であったという。しかし、元和年中の造営にあたっては、境内の立木を使用したために、大木が少なくなったといわれているから、神社の開闢の歴史はさらに古いことが知られる。境内は福満寺に隣接しており、昔は同寺の所有地となっていたこともあるという。
現在、新造の納殿の中にそのまま納められた本殿は、安永年間(一七七二~一七八一)の再建である。流造り、間口二間、奥行一丈の比較的大きな建物で、特に正面と左右には七箇の紋章(下り藤三、橘一、万寿一、安永一、剣片喰一)が彫られている。これは、当地区先住者七戸の紋章であって、彼らが最初に当神社の遷宮をなしたことに由来するという。すなわち、七戸の者は佐原の香取神社より舟で渡来し、字上納屋の辺に到着し(現在、烏居あり)産土に入った、といわれる。
文化八(一八一一)年、当社に神武管領から裁可状が下され、神官森河内佑が別当職に任ぜられた。この時、当境内には苗木数百本が奉納されて植樹をなした。しかし、明治五(一八七二)年には官有地となり、同十四(一八八一)年には風致官林と称されるなどの変選を経て、同三十三(一九〇〇)年十月十五日、払下げにより再び神社の所有に復した。(一部は個人の所有地)
明治四十一(一九〇八)年八月十七日、大井地区の無格社である浅間神社・風神・天神・大六天・八王子社・厳島神社などを境内に合祀している。(「沼南町史」より)
大井香取神社の周辺図
参考資料
- 千葉県神社名鑑
- 「沼南町史」
- 「稿本千葉縣誌」
- 「千葉縣東葛飾郡誌」