増尾城址。柏市増尾にある旧跡・名所

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増尾城址。柏市増尾にある旧跡・名所

増尾城址の概要

増尾城址は、柏市増尾にある名所旧跡です。増尾城址は、高城氏の家臣平川若狭守が居城していた増尾城の址です。増尾城は、相馬彦次郎師胤が居城したと伝えられ、相馬氏が奥州小高へ転じた後は、相馬氏の家臣の館なっていたといいます。戦国時代には、高城氏の家臣平川若狭守が居城、豊臣秀吉の北条小田原攻めにより廃城となったと推定されています。

増尾城址
増尾城址の概要
旧跡・名所名 増尾城址
みどころ 旧跡
入場時間 -
入場料 -
住所 柏市増尾705-4増尾城址公園
備考 -




増尾城址の由緒

増尾城址は、高城氏の家臣平川若狭守が居城していた増尾城の址です。増尾城は、相馬彦次郎師胤が居城したと伝えられ、相馬氏が奥州小高へ転じた後は、相馬氏の家臣の館なっていたといいます。戦国時代には、高城氏の家臣平川若狭守が居城、豊臣秀吉の北条小田原攻めにより廃城となったと推定されています。

「千葉縣東葛飾郡誌」による増尾城址の由緒

増尾城址
土村増尾の北部名戸ケ谷に接する丘陵にあり、里人呼んで城山と云ふ、蓋し増尾城は相馬胤村下總國相馬郡、奥州行方郡地頭職の第五子彦次郎師胤其の母の遺領を繼ぎ、茲に居城せしならん、然るに師胤の子孫は奥州小高に轉ずるに及び、一時其の族臣の居となれり。後戰國の世に一豪族ありて、此城に據れりとの口碑に徹すれば、高城氏の家臣平川若狭守(高城氏傳及古文書参照)の居城には非ざりしか。
尚、同地に妙見堂あり、妙見菩薩を本尊とす、これ増尾城主相馬家の氏神なりしと、されば徳川氏の代に迨びても奥州相馬家の参勤途次、其臣下をして代拝せしめしと云ふ。 (「千葉縣東葛飾郡誌」より)


増尾城址の周辺図