少林寺|柏市増尾にある臨済宗大徳寺派寺院

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増尾山少林寺|東葛印旛大師八十八ヶ所霊場、下総四郡八十八所霊場

少林寺の概要

臨済宗大徳寺派の少林寺は、増尾山と号します。少林寺は、相馬氏の後裔と称する慶胤禅師が、相馬重胤公の持仏と伝えられる十一面観音像を奉安して弘治4年(1558)に創建、萬満寺2世雪伝和尚が開山したといいます。境内の大師堂は、東葛印旛大師八十八ヶ所霊場43番、下総四郡八十八所霊場68番です。

少林寺
少林寺の概要
山号 増尾山
院号 -
寺号 少林寺
住所 千葉県柏市増尾3-6-1
宗派 臨済宗大徳寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



少林寺の縁起

少林寺は、相馬氏の後裔と称する慶胤禅師が、相馬重胤公の持仏と伝えられる十一面観音像を奉安して弘治4年(1558)に創建、萬満寺2世雪伝和尚が開山したといいます。

境内石碑による少林寺の縁起

増尾山少林寺
臨済宗大徳寺派少林寺は一五五八年弘治四年(改元して永禄元年)正月創建されました。
釈尊から二十八代、禅の開祖達磨大師より臨済禅師に至り、臨済宗を開創します我が国の大應国師が入宋して臨済禅を伝え、大應国師の法を嗣いだ大灯国師が当少林寺の大本山である、京都紫野に大徳寺を開山いたします。
大灯国師は釋尊より五十六代、臨済禅師より十九代の法孫であります。
臨済宗は参禅弁道、済世利民を宗義として直指人心、見性成佛を眼目とするゆえに一定の法門なく、また所依の経論もありません。
増尾の領主、相馬重胤公は一三二二年、後醍醐天皇の世、元享三年に奥州に下向して、奥州相馬氏の祖となります。南北朝の内乱で、鎌倉で自害しました。
出陣の際、相馬家に伝わる五、七糎の鋳銅製の十一面観音を兜の内にお守りとして納めていたと伝えられています。その十一面観音像は奥州相馬に帰りましたが、重胤公の首級は旧領地の増尾に葬られました。それから約二百年後相馬氏の遠孫と称する慶胤禅師が、かの十一面観音像を奉持して増尾に現れ、少林寺に本尊として納め、重胤公並に部下将兵の慰霊供養を志しました。当時著名な下総馬橋の万満寺二世雪伝和尚(後に常陸国高岡の末寺二百有余を擁する法雲寺二十二世となる)を勧請して、少林寺開山となし、自らは嗣嶽と称して少林寺二世になりました。
重胤公の墓碑の一石五輪塔(五十五糎)は今尚境内墓地に祀られています。
本堂の前、境内地のほぼ中央に建てられているが弁天堂で、ここに祀られている弁天様は、少林寺第四世宗琱和尚の縁起によると、弘法大師が彫刻したと伝えられております。以後数殿修理がなされ現在に至ります。(以下省略)(境内石碑より)

「柏市史」による少林寺の縁起

少林寺
字本郷から移る。増尾村字門前に所在。増尾山と号し、馬橋村(松戸市)萬満寺の末寺。本尊は十一面観世音菩薩・大日如来・阿弥陀如来。文禄元年(一五九二)に少林寺殿前増尾花岳浄春居士が創立したと伝える。(「柏市史」より)

「柏市史資料編土・千代田村誌」による少林寺の縁起

少林寺
少林寺ハ、山号ヲ増尾山ト称シ、土村増尾字門前千三百六十五番地ニ在リ。臨済宗大徳寺派ニシテ、東葛飾郡馬橋村万満寺ノ末寺ナリ。十一面観世音、阿弥陀如来ヲ本尊トス。人皇百五代正親町天皇永禄元辰年(皇紀二千二百十八年)正月二日ノ創立ナリト云フ。開基ハ、少林寺殿前増尾仁岳浄春居士。開山ハ雪伝和尚大禅師ナリ、明治十五年(皇紀二千五百四十二年)十一月十八日二十五世中村宗賛師ノ代、今ノ本堂ヲ再建シタリ。(「柏市史資料編土・千代田村誌」より)


少林寺の周辺図


参考資料

  • 「柏市史」
  • 「柏市史資料編土・千代田村誌」