妙見山圓福寺|下総三十三ヶ所観音霊場
圓福寺の概要
真言宗豊山派寺院の圓福寺は、妙見山地蔵院と号します。圓福寺は、「寺院明細帳」に天正元年(1573)の創建と記載されていますが、「千葉縣東葛飾誌」では大青田妙見神社の由緒について、延文2年(1357)醍醐水本學匠大僧都雲巌が由緒を作成、紅葉岡別當妙見山地蔵院圓福寺住職法印大僧都巌旭が弘治2年5月13日(1556)に由緒を追記、云々とあることから、天正元年(1573)は法流開山ではないかと考えられます。明治維新までは大青田妙見神社をはじめ地内の諸社の別当を勤めていました。下総三十三ヶ所観音霊場31番です。
山号 | 妙見山 |
---|---|
院号 | 地蔵院 |
寺号 | 圓福寺 |
住所 | 千葉県柏市大青田1101 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
圓福寺の縁起
圓福寺は、「寺院明細帳」に天正元年(1573)の創建と記載されていますが、「千葉縣東葛飾誌」では大青田妙見神社の由緒について、延文2年(1357)醍醐水本學匠大僧都雲巌が由緒を作成、紅葉岡別當妙見山地蔵院圓福寺住職法印大僧都巌旭が弘治2年5月13日(1556)に由緒を追記、云々とあることから、天正元年(1573)は法流開山ではないかと考えられます。明治維新までは大青田妙見神社をはじめ地内の諸社の別当を勤めていました。
「柏市史」による圓福寺の縁起
圓福寺
大青田村字西郷谷に所在。妙見山と号し、江戸時代は葛飾郡名都借村(流山市)清滝院の直末寺であった。本尊は不動明王。「寺院明細帳」には天正元年(一五七三)二月一五日の創立とあるが、それよりさかのぽる可能性が高い。寛保元年の「郷差出帳」によれば、一六軒の檀家で所持し、境内は除地。地蔵堂と観音堂を支配し、地蔵堂の寮には円福寺を隠居した僧が住み、観音堂の寮には道心者が住んでいた。妙見社・姫宮明神・香取明神・鷲明神・山王権現・諏訪明神・熊野権現と二つの神明社を支配していた。(「柏市史」より)
圓福寺の周辺図
参考資料
- 「柏市史」