安楽山観音寺|東葛印旛大師八十八ヶ所霊場
観音寺の概要
真言宗豊山派寺院の観音寺は、安楽山誓光院と号します。観音寺の創建年代等は不詳ながら、文禄年間(1593-1596)に字中島に創建したと伝えられます。元禄3年(1690)火災により消失、寛保2年(1742)当地に移転して中興、観音堂は天明2年(1782)に再建したといいます。東葛印旛大師八十八ヶ所霊場69番、下総三十三ヶ所観音霊場23番、下総四郡八十八所霊場69番です。
山号 | 安楽山 |
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院号 | 誓光院 |
寺号 | 観音寺 |
住所 | 千葉県柏市逆井523 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
観音寺の縁起
観音寺の創建年代等は不詳ながら、文禄年間(1593-1596)に字中島に創建したと伝えられます。元禄3年(1690)火災により消失、寛保2年(1742)当地に移転して中興、観音堂は天明2年(1782)に再建したといいます。
「柏市史」による観音寺の縁起
観音寺
逆井村字粟野巣に所在。火災により字中島から移る。安楽山誓光院と号し、江戸時代は鰭ヶ崎村東福寺の末寺であった。本尊は不動明王と十一面観世音菩薩。元禄六年(一六九三)の「逆井村寺社御改帳」に名が見え、当時境内に二間半四方の観音堂があった。『土村誌』によれば、文禄年間(一五九二~九五)に火災にあい、堂宇・古文書など皆焼失したといい、その後寛保二年に権大僧都(衤に古)鏡和尚が、字戸崎に本堂を再建して中興開山になったという。しかし、元禄六年の「逆井村寺社御改帳」には、観音寺寺中に二間半四方の観音堂が記されているので、この堂は焼失を免れて、本堂再建まで本堂がわりに使用されていたように想定される。(「柏市史」より)
「柏市史資料編土・千代田村誌」による観音寺の縁起
観音寺
土村逆井字戸崎五百二十三番地ニ在リ。山号ヲ安楽山ト称シ、真言宗新義派ニシテ東葛飾郡流山町大字鰭ヶ崎東福寺ノ末寺ナリ。不動明王及ビ観世音菩薩ヲ本尊トス。里伝ニ人皇百六代後陽成天皇ノ御宇文禄年間ノ創立ニシテ、同所字中嶋ニアリシモ、人皇百十三代東山天皇ノ御宇元禄三年(皇紀二千三百五十年)祝融ノ災厄ニ遇ヘ、堂宇及ビ古書等皆焼失セシトイフ。人皇百十四代櫻町天皇ノ御宇寛保二年(皇紀二千四百二年)九月権大僧都法印(衤に古)鏡和尚今ノ処ニ本堂ヲ再建シ、中興開山トナレリ。其後人皇百十八代光格天皇ノ御宇天明五年(皇紀二千四百四十五年)三月四世ノ住職法印慶英和尚ノ代、現在ノ伽藍ヲ再建シ今ニ至ル。
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観音堂
土村逆井観音寺境内ニ在リ。観世音菩薩ヲ本尊トス。人皇百六代後陽成天皇ノ御宇文禄年間ノ創立ニシテ、同所字中嶋ニ在リシモ、人皇百十二代東山天皇ノ御宇元禄三年(皇紀二千三百五十年)祝融ノ災厄ニ遇ヘ堂宇焼失シタルヲ以テ、人皇百十八代光格天皇ノ御宇天明二年(皇紀二千四百四十二年)三月観音寺住職権大僧都法印元了和尚、今ノ処ニ現在ノ本堂ヲ再建セシト云フ。中嶋ニハ、観音塚ト称シ大ナル古塚今ニ存セリ。 (「柏市史資料編土・千代田村誌」より)
観音寺の周辺図
参考資料
- 「柏市史」
- 「柏市史資料編土・千代田村誌」