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宗賢寺|柏市塚崎にある日蓮宗寺院

宗賢寺の概要

日蓮宗寺院の宗賢寺は、妙応山と号します。宗賢寺の創建年代等は不詳ながら、小湊誕生寺の住持が隠棲の地として開創したと伝えられます。塚崎からは嘉吉年間(1441-1444)の題目板碑が見つかっていることから、室町時代には当寺が活動していたのではないかと推定されます。その後荒廃したものの、大井城主坂巻若狭守正勝の家老中野隼人の子にあたる日宣上人が、天正18(1590)年に陣死した父母・家臣の菩提を弔うため、中野吉兵衛を大檀越に迎えて当寺を再興しています。

宗賢寺
宗賢寺の概要
山号 妙応山
院号 -
寺号 宗賢寺
住所 千葉県柏市塚崎607-1
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



宗賢寺の縁起

宗賢寺の創建年代等は不詳ながら、小湊誕生寺の住持が隠棲の地として開創したと伝えられます。塚崎からは嘉吉年間(1441-1444)の題目板碑が見つかっていることから、室町時代には当寺が活動していたのではないかと推定されます。その後荒廃したものの、大井城主坂巻若狭守正勝の家老中野隼人の子にあたる日宣上人が、天正18(1590)年に陣死した父母・家臣の菩提を弔うため、中野吉兵衛を大檀越に迎えて当寺を再興しています。

「沼南町史」による宗賢寺の縁起

当寺は塚崎地区北西部台地の、先端に近い傾斜地に位置する。寺伝によれば、昔小湊誕生寺の住持が隠棲の地として開創した寺であるという。その年代は不詳であるが、中世初期ごろといわれている。当地区からは嘉吉年間(一四四一~四)の題目板碑が二基みいだされているから、室町初期には当寺が法華経弘通の寺として栄えていたことを示唆するものである。
以後、中世末期には衰退して堂宇は朽廃し、久しく祖像や霊簿等は大井の妙照寺に預けられていた。江戸初期の明暦元(一六五五)年に至って、妙照寺六世の日宣が来山し、大檀越中野吉兵衛の帰依によって堂宇を再建し、祖像等を奉還して寺の基礎を確立した。日宣は戦国期の大井城主、坂巻若狭守正勝の家老である中野隼人の子で、天正十八(一五九〇)年に陣死した父母や家臣などの霊を弔うために、居館跡に当寺を再興したと伝えられる。とすれば、この時田地十石を寄進した中野吉兵衛は、おそらく日宣とは俗縁の関係深い外護者であって、当寺の開墾地は他の地域であったことをも示唆している。
当寺は、近隣には誕生寺系統の寺院がないために、江戸の講中者の参詣が多く、什宝仏像等の奉納がなされるなどして栄えた。しかし、寛延四(一七五一)年二月二十三日片火災を発して、本堂・庫裡を焼失した。幸いにも、三宝尊、祖像、経典一部、過去帳などは厄災を免れた。同年十二月二十八日、まず庫裡を再建したが、翌宝暦二(一七五二)年には早くもこれを焼失した。かくして、同九(一七五九)年に今度は本堂を再建した。これが現存する本堂である。以後、明和八(一七七二)年に至り、先に中野氏の寄進した田地の一部を売却して本堂を増築し、庫担(七間×四間)をふたたび再建した。(「沼南町史」より)


宗賢寺の周辺図

参考資料

  • 「沼南町史」