大日山神崎寺|関東八十八ヶ所霊場
神崎寺の概要
真言宗醍醐派寺院の神崎寺は、大日山東照院と号します。神崎寺は、普賢行者が慶長5年(1600)当地に開山した大日山東照院が明治維新により廃寺となったことから、「御山念仏大師講」により靈山として維持され、戦後、真言宗醍醐派の僧秀宝が復興したといいます。関東八十八ヶ所霊場44番です。
山号 | 大日山 |
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院号 | 東照院 |
寺号 | 神崎寺 |
住所 | 香取郡神崎町神崎本宿231 |
宗派 | 真言宗醍醐派 |
縁日 | - |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
神崎寺の縁起
神崎寺は、普賢行者が慶長5年(1600)当地に開山した大日山東照院が明治維新により廃寺となったことから、「御山念仏大師講」により靈山として維持され、戦後、真言宗醍醐派の僧秀宝が復興したといいます。
境内掲示による神崎寺の縁起
山門沿革
慶長五年。一人の行者が利根川を望む山に霊気を覚え錫をとどめ、この普賢と名乗った行者により山は開かれ、大日山と号した。
江戸時代の書物の記録によると、鎮守神の山”神崎の杜”、愛宕権現の山”愛宕山”、そして当山、大日如来の山”大日山”が神崎三山とされていました。明治時代の廃仏毀釈により閉山に追い込まれましたが”大師信仰”が伝わり戦後に真言宗醍醐派当山派修験道の寺として復興されました。
この大日山は茨城から見る山容を霊山として『御山さま』と呼ばれ信仰されてきました。
抑々、霊山とは神仏の住まう山である須弥山を模して、寺が建立されたり、信仰される山として俗世間から結界が張られる場所です。(環境庁・千葉県掲示より)
「香取郡誌」による神崎寺の縁起
大日山神崎寺
神崎町神崎本宿區字郷に在り域内千七百七拾六坪眞言宗にして阿彌陀及び十一面觀音を本尊とす創建詳かならず往時は神崎神社の別當寺にして同社蔵承久三年辛巳六月廿四日の古文書に神崎寺料田の文あり是に因て之を見れば其舊寺なること問はずして知るべし維新前は神崎神領の内より五石を寄せられたりしが社寺の區別ありしより漸舊時の觀を失せり。(「香取郡誌」より)
「稿本千葉縣史」による神崎寺の縁起
大日山神崎寺
同郡神崎町大字神崎本宿字郷にあり、境内千百七十一坪、眞言宗總持院(香取郡香取町)の末派なり。寺傳に云ふ、貞観二年慈覺大師の開基にして古来神崎神社の別當たり、もと弘法大師自作の一刀三禮の觀世音を以て神崎神社の本地佛とせしが、維新の初め之を本寺に遷せり。(「稿本千葉縣史」より)
大日山神崎寺の周辺図
参考資料
- 「関東八十八ヶ所霊場ガイド」