妙法山神宮寺|貞観2年創建、神崎神社のもと別当寺
神宮寺の概要
天台宗寺院の神宮寺は、妙法山と号します。神宮寺は、慈覚大師が開基となり貞観2年(860)に創建したと伝えられ、神崎神社の別当を勤めてきました。承久年間(1219-1222)には寺領の寄進を受け、江戸期には寺領5石を有していたといいます。佐原大師八十八ヶ所霊場4番です。
山号 | 妙法山 |
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院号 | - |
寺号 | 神宮寺 |
住所 | 香取郡神崎町並木645 |
宗派 | 天台宗 |
縁日 | - |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
神宮寺の縁起
神宮寺は、慈覚大師が開基となり貞観2年(860)に創建したと伝えられ、明治維新後の神仏分離令まで神崎神社の別当を勤めてきました。承久年間(1219-1222)には寺領の寄進を受け、江戸期には寺領5石を有していたといいます。
境内掲示による神宮寺の縁起
神宮寺
真言宗智山派・神宮寺は神崎神社の別当寺として創建され、近世には四国88ヶ所を移した第9番札所として近郷庶民の信仰を集めてきました。
「大般若波羅密多経」の写経は全600巻のうち60巻を欠くだけで大部分が現存し県指定文化財に、また仁王門・観音堂は町指定文化財に指定されています。
なお「大般若波羅密多経」は、県立大利根博物館に保存してあります。(環境庁・千葉県掲示より)
「香取郡誌」による神宮寺の縁起
妙法山神宮寺
神崎町並木區字郷に在り域内千七百七拾六坪眞言宗にして阿彌陀及び十一面觀音を本尊とす創建詳かならず往時は神崎神社の別當寺にして同社蔵承久三年辛巳六月廿四日の古文書に神宮寺料田の文あり是に因て之を見れば其舊寺なること問はずして知るべし維新前は神崎神領の内より五石を寄せられたりしが社寺の區別ありしより漸舊時の觀を失せり。(「香取郡誌」より)
「稿本千葉縣史」による神宮寺の縁起
妙法山神宮寺
同郡神崎町大字並木字郷にあり、境内千百七十一坪、眞言宗總持院(香取郡香取町)の末派なり。寺傳に云ふ、貞観二年慈覺大師の開基にして古来神崎神社の別當たり、もと弘法大師自作の一刀三禮の觀世音を以て神崎神社の本地佛とせしが、維新の初め之を本寺に遷せり。(「稿本千葉縣史」より)
神宮寺の縁起
- 大般若波羅密多経(千葉県指定文化財)
- 並木神宮寺仁王門(神崎町指定文化財)
- 並木の大梛(なぎ)
並木神宮寺仁王門
神宮寺は神崎神社の別当寺として創建されたもので、近世には四国八十八ヵ所を移した第九番札所として近郷庶民の信仰を集めてきました。仁王門は間口十尺足らずの四脚門で、木割りが細く屋根は切妻造になっています。木柱は一般t京奈円柱ではなくごひらの柱で、柱天に縦長断面の冠木をおいています。建立は江戸時代中期(17世紀後半)とみられていますが、本柱や冠木の形式が通常の四脚門とは違っており、また藁座を蹴放から造り出しとする珍しい造りとなっています。(神崎町掲示より)
並木の大梛(なぎ)
梛の木は遠く中国海南島や台湾等に自生するが、南紀、四国、九州の温暖な地方に定着した常緑の高木である。古代から神社の境内や庭園等に植樹する習わしがあり、神宮寺の梛も同様と考えられるが、いつ頃植えられたものなのか定かではない。
その昔並木村の住人達が相談し代表者を五穀豊穣と村の興隆を祈願するため、お伊勢参りに向かわせた。
帰り際に一本の小さな梛の木の苗木を頂き、これを神社かお寺の境内に植えて大事に育てよと言われ、現在の地に植えられた。
梛の葉は、多数の平行脈を有し「チカラシバ」「センニンリキ」といった異名が示すように強靭で切れにくいので、大切な人とのご縁を結ぶとされる。また二つの並んだ赤い実をつけることから「夫婦円満、相思相愛の木」といわれ、「固い契り」の象徴とされ、大変縁起のよい神木である。(妙法山神宮寺掲示より)
妙法山神宮寺の周辺図
参考資料
- 「香取郡誌」
- 「稿本千葉縣史」