遠見岬神社|勝浦市浜勝浦の神社
遠見岬神社の概要
遠見岬神社は、勝浦市浜勝浦にある神社です。遠見岬神社の創建年代等は不詳ながら、阿波の忌部族を率いて勝占忌部を設置し、また紀伊国の忌部を招いて漁業に習熟させた天富命を、富貴島に祀り創祀したとつたえられます。慶長6年(1601)の津波により富貴島が決潰、社殿は尊磯に漂着、尊磯近くの宮谷に祀られていましたが、万治2年(1659)植村泰忠公が宮山(当地)に遷したといいます。明治維新後の社格制定に際して明治6年郷社に列格、明治39年には神饌幣帛料供進神社に指定されていました。
社号 | 鹿遠見岬神社 |
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祭神 | 天富命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 千葉県勝浦市浜勝浦1 |
祭日 | 例大祭9月13日 |
備考 | - |
遠見岬神社の由緒
遠見岬神社の創建年代等は不詳ながら、阿波の忌部族を率いて勝占忌部を設置し、また紀伊国の忌部を招いて漁業に習熟させた天富命を、富貴島に祀り創祀したとつたえられます。慶長6年(1601)の津波により富貴島が決潰、社殿は尊磯に漂着、尊磯近くの宮谷に祀られていましたが、万治2年(1659)植村泰忠公が宮山(当地)に遷したといいます。明治維新後の社格制定に際して明治6年郷社に列格、明治39年には神饌幣帛料供進神社に指定されていました。
「千葉県神社名鑑」による遠見岬神社の由緒
祭神天富命は、神武の御代、勅命を奉じて四国の阿波の忌部族を率い、房総の国安房の富岬に渡り、この地に阿波の忌部を置き、勝浦の地に来て勝占忌部を置き、麻の播植をせしめ、後、紀伊国の忌部を招き漁業の術を教えた。また祖神天太玉命の社を安房の国に建て、祖先を祀る事を教え、神祠を富貴島に造りこれを祀る。慶長六年海嘯のため富貴島が決潰して、流された社殿は尊磯に漂着した。潮祭神事の起源。万治二年植村泰忠公が社殿を宮谷より宮山に移す。現社殿は嘉永二年の造営である。(「千葉県神社名鑑」より)
遠見岬神社の周辺図
参考資料
- 「夷隅郡誌」
- 「千葉県神社名鑑」