墨名熊野神社|勝浦市墨名の神社

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墨名熊野神社|勝浦市墨名の神社

墨名熊野神社の概要

墨名熊野神社は、勝浦市墨名にある神社です。墨名熊野神社の創建年代等は不詳ながら、天富命が阿波の忌部族を率いて勝占忌部を設置し、また紀伊国の忌部を招いて漁業に習熟させるなどして当地を開拓、紀伊の忌部が、紀伊の熊野を勧請して創祀したと伝えられます。またあるいは春部直黒土名が貞観9年(867)に神祠を建立して創祀したともいいます。慶長大地震(1604)・元禄大地震(1704)の津波により社殿倒潰したものの、その後再建、明治維新後の社格制定に際しては村社に列格していました。なお、相殿に祀られている貴船神社は、源頼朝に敵対して養和元年(1181)に当地へ逃れてきた伊藤祐範が祀ったものだといいます。

墨名熊野神社
墨名熊野神社の概要
社号 熊野神社
祭神 熊野加武呂命、伊太祁曾命、高龗神
相殿 -
境内社 月夜見神社
住所 千葉県勝浦市墨名134
祭日 例大祭9月13日
備考 -



墨名熊野神社の由緒

墨名熊野神社の創建年代等は不詳ながら、天富命が阿波の忌部族を率いて勝占忌部を設置し、また紀伊国の忌部を招いて漁業に習熟させるなどして当地を開拓、紀伊の忌部が、紀伊の熊野を勧請して創祀したと伝えられます。またあるいは春部直黒土名が貞観9年(867)に神祠を建立して創祀したともいいます。慶長大地震(1604)・元禄大地震(1704)の津波により社殿倒潰したものの、その後再建、明治維新後の社格制定に際しては村社に列格していました。なお、相殿に祀られている貴船神社は、源頼朝に敵対して養和元年(1181)に当地へ逃れてきた伊藤祐範が祀ったものだといいます。

「千葉県神社名鑑」による墨名熊野神社の由緒

相伝に「上古、春部直黒生売なる者あり、特に尊信し此の神を祀る。天暦一〇年新たに神祠を建て鎮守の神と尊奉し祭祀する所なり。養和年間伊藤祐親が支族伊藤祐範なる者源頼朝公を恐悪する事あり避けて茲に来り、春日部の家を主とし貴船の神を祭祀し是を相殿に合祀す。墨名村の名、黒生売が名より出ると云ふ。又黒土名の三字を誤写謬呼して墨名村と通称すと云ふ。往昔は黒土の里と記すものあり」という。(「千葉県神社名鑑」より)

境内掲示による墨名熊野神社の由緒

神武の御宇天富命勅命を奉じ四国の忌部(斎部)の裔を率いて東国沃穣の地を求め房総の地に到り麻穀を幡植せしめ開拓植民の地と定められ漁に優れたる紀伊の忌部の裔を別に招き狩漁の術を授けしめ給ふ紀伊の忌部郷土の守護神熊野大神木の種の神伊太祁曾の神の御分霊を奉遷し勝浦の地に移住狩漁の業を奨励し守護神と尊び墨名の里に祀る熊野神社の御創立の始めなりと傳ふ。貞観九年春部直黒土名の節婦ある時熊野大神の両神徳を再び祭祀奉幣をなすと見ゆ。村上天皇の御宇里人支族伊藤祐範なる者源頼朝公を恐悪することあり難を避け此の地に来り春部の家を主として貴船の神に武運弥栄を祈念し祀るを後熊野の社に相殿として合祀す。慶長年中元禄年中に海嘯あり社殿倒潰するを後再建す。宝暦十二年大岡出雲神忠光の所領となり社地免租せらる。明治四年御一心御改政に付社地上地す同四十一年元上地の山林譲与せらる。昭和二十年八月戦災により社殿炎上御神霊を奉遷難を避くも記録を消失せり直ちに社殿を復興するが昭和三十七年現社殿を建立す。(境内掲示より)

墨名熊野神社の周辺図


参考資料

  • 「夷隅郡誌」
  • 「千葉県神社名鑑」

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