本行寺|勝浦市浜勝浦にある日蓮宗寺院

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長寿山本行寺|上総五十座説教の発祥地

本行寺の概要

日蓮宗寺院の本行寺は、長寿山と号します。本行寺は、大同2年(807)に僧空海が創建したと伝えられ長寿院と号していましたが、暦応2年(1339)当地へ教化に来た宝乗院日続が、当寺を真言宗から日蓮宗へ改め、長寿山本行寺と改号し開山したといいます。上総五十座説教の発祥地となり、享保8年(1723)の日顗聖人五十座説教に際して宗祖日蓮聖人の御歯骨を分与され、御歯骨を奉安するために釈迦堂が建立されました。釈迦堂は勝浦市有形文化財に指定されています。

本行寺
本行寺の概要
山号 長寿山
院号 -
寺号 本行寺
住所 勝浦市浜勝浦1195-1
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



本行寺の縁起

本行寺は、大同2年(807)に僧空海が創建したと伝えられ長寿院と号していましたが、暦応2年(1339)当地へ教化に来た宝乗院日続が、当寺を真言宗から日蓮宗へ改め、長寿山本行寺と改号し開山したといいます。天文19年(1550)池上本門寺11世日現の200余日の転錫、天正10年(1582)池上本門寺12世日惺50日の弘教があり、上総五十座説教の発祥地となり、大阪の百部・金沢の千部とともに日蓮宗高座説教の三大檜舞台と称されるようになったといいます。享保8年(1723)の日顗聖人五十座説教に際して宗祖日蓮聖人の御歯骨を分与され、御歯骨を奉安するために釈迦堂が建立されました。釈迦堂は勝浦市有形文化財に指定されています。

「夷隅郡誌」による本行寺の縁起

長壽山本行寺
勝浦町濱勝浦に在り、本門寺末にして日蓮宗たり、本尊は釋迦牟尼佛多寶佛等十界勧請にして光明天皇暦應二年正月日續の剏建に係る、寺傳を按ずるに當寺は大同二年僧空海の創建にして、眞言宗に隷屬し長壽院と稱し爾来衣鉢を繼ぎて暦應の始めに及びたりき、日續日蓮宗意の薀奥を極めて各地に巡教し、當地に来りて住僧と逢ひ、法論數日終に住僧を屈服せしめてその徒弟となしたり、爰に於て日續代りて住持となり、山號寺號を現在の如く更めたるなり、境内坪數八百九十二坪釋尊堂、祖師堂、鐘樓、庫裡等の建物あり。(「夷隅郡誌」より)

「日蓮宗寺院大鑑」による本行寺の縁起

本行寺 長寿山
暦応2(1339)年の創立。開山宝乗院日続(観応2年1月25日寂)。池上・中延法縁弁派。真言宗長寿院を改め寺号を改称。天文19年池上11世日現の200余日の転錫と、天正10年池上12世日惺50日の弘教もあって、上総50座説教の発祥となる。徳川中期、享保8年に池上25世日顗の50座説教の砌、宗祖御肉歯(宗宝)の御分与があり、現在市文化財指定の釈迦堂内に奉安。江戸時代、大阪の百部・金沢の千部・上総の50座は日蓮宗高座説教の三大檜舞台と称せられて400年来伝承、現今は輪番で浜七ヶ寺が奉行している。明治までは50日間、戦前は20日間、戦時中は10日間、さらに8日間と短縮された。(「日蓮宗寺院大鑑」より)


本行寺所蔵の文化財

  • 本行寺釈迦堂(勝浦市指定有形文化財)
  • 日蓮聖人御霊歯奉安・日顗聖人五十座説法記念碑

本行寺釈迦堂

日蓮宗寺院の多い千葉県にあっても、重層建築の釈迦堂は稀である。
享保八年(一七二三)の五十座に際し、東京・池上本門寺より日蓮聖人の御歯骨を分与され、この御歯骨を奉安するため建てたことから、舎利塔の意も含んで重層としたのであろう。
釈迦堂は、三間堂、重層方形造りで、棟上に疑宝珠をのせている。上層は唐様式が加味され、扇棰が美しく、斗栱は三手法、周辺には和様高欄を設けている。下層三方の間は両開桟唐戸で、中央奥に釈迦如来が祀られ、その前中央の厨子に御歯骨が奉安されている。天井は鏡板に彩色でタチバナの紋を画いた格天井。よく整った貴重な建造物である。(勝浦市教育委員会掲示より)

本行寺釈迦堂

当寺は暦応二年(一三三九)日続によって、真言宗から日蓮宗に改められたと伝えられる。
享保八年(一七二三)の五十座に際し、池上本門寺より、日蓮聖人の御歯骨を分与された。日蓮宗寺院の多い千葉県にあっても、重層建築の釈迦堂は稀である。日蓮聖人の御歯骨を奉安するため建てたところから舎利塔の意も含んで重層としたのであろう。
亀腹基壇に立ち、三間堂で重層方形造り、桟瓦葺きで棟上げに疑宝珠をのせている。構造柱は円柱、和様の斗栱は和様三手法、周辺に和様高欄を設けている。下層中央の間は両開桟唐戸。中央奥に趣味庵があって、釈迦如来が祀られているが、その前室中央に金庫が設けられ、御分骨が奉安されている。天井は鏡板に彩色にてタチバナの紋を描いた格天井である。よく整った建物といってよい。
建造年代は、現存する棟札には「寛政第五癸丑五月十六日棟上六月朔入仏」とあり、ほぼ棟札どおり間違いないものと思われる。また大工棟梁として「当町 渡辺久七 堂渡辺弥左衛門」の名が記されている。これより、明和九年(一七七二)には植野村棟梁市東太郎兵衛、彫物大工市東半平が江戸堀之内妙法寺祖師堂(東京都指定有形文化財)をつくっており、古い伝統をもつこの地方の大工棟梁が、全般的にも優秀な技法をもっていた例証として貴重な建造物である。(境内掲示より)

日蓮聖人御霊歯奉安・日顗聖人五十座説法記念碑

日顗聖人五十座説法の折に宗旨御肉牙を迎えた記念として、勝浦本行寺に建立された記念碑で、熱狂的に群参した上総信徒の様子を伝えている。石碑には池上寺中の心靜院日行と坂本坊日光の名が見られるが、これらは日顗聖人に随行した僧侶であろう。日顗聖人は寛保元年(一七四一)にも本行寺他で説法を行っており、その際の追刻銘も認められる。なお、この石碑の脇には日現(両山十一世)、日惺(両山十二世)、日詔(両山十四世)及び日顗聖人の本尊を四面に刻した五十座説法記念碑も建てられている。(境内掲示より)

本行寺の周辺図


参考資料

  • 「夷隅郡誌」
  • 「日蓮宗寺院大鑑」