小金八坂神社|松戸市小金の神社
小金八坂神社の概要
小金八坂神社は、松戸市小金にある神社です。小金八坂神社の創建年代は不詳ですが、天文年間に小金城主高城氏が交通の要衝地に創建したと推定されています。戦前は村社に列格、昭和四十八年当地に遷座したといいます。
社号 | 八坂神社 |
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祭神 | 素盞嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 千葉県松戸市小金444 |
祭日 | - |
備考 | - |
小金八坂神社の由緒
小金八坂神社の創建年代は不詳ですが、天文年間に小金城主高城氏が交通の要衝地に創建したと推定されています。戦前は村社に列格、昭和四十八年当地に遷座したといいます。
境内石碑による小金八坂神社の由緒
当社はもと小金天王脇一番地に鎮座し、素盞嗚尊を祀る。由緒は詳にし難く其の創立を傳ふるものを聞かず、思ふに天文の頃小金城主高城氏城下を構ふるや濱街道の要衝のこの地に鎮守神を勧請せられたるものならんか、爾来江戸時代に及んで八坂神社と仰ぎ宿駅日々に盛運を加へ小金牧場奉行綿貫氏の歴代祟敬と相待って神威を洽ねからしめたり。正徳九年社地を増し、次いで一反三畝の平地を除地とし、神社一段五畝を加へ、享保年間氏子二百七十余戸を数ふ。享保二年四月相馬郡酉手村大番匠藤原清次に嘱し、街道に南面し銅瓦葺五反四面の槻造の荘厳な社殿を二間四方の石畳の上に造営し奉る。これ別当清蔵院弘含同本寺大勝院祐運寺の力に俟つものにして更に一丈一尺の神表を造頸し、神域を全く完備せるにより神祇官領卜部兼教より当社に正一位牛頭天王の極位を授けしめられる。明和九年始めて社僧を置き、祭祀は栗ヶ澤香取社友野喜内等奉仕し、祭礼は毎年六月七日より同十五日に営み同月十五日神輿の渡御を仰ぐを常とす。其後宝暦九年九月氏子等神輿を再造せんと志し、進んで浄財を寄せ遠く江戸にも勧化し、金二十一両を以て江戸小伝馬上町大阪屋五兵衛に堂柱法り二尺の荘大華厳なる神輿を奉献す。氏子等ここに町内に上中下の三組に編し、日夜奉仕神饌を供御し以て永く今日に至る。亦社殿も星霜を経るにより修復を加へ文化五年五月銅瓦葺替、更に餝金具を潤飾、金五十八余両を捧げて山田屋久兵衛目出度く六月二十四日荘厳を終る。爾来軽妙荘厳重なる社重なる社殿四隣を歴し、老樹天を摩し、神威日々に洽ねく、崇敬年々に増す。然るに近年地域発展と共に交通上の激甚を加へ神徳大に憂ふべきものあり。
よって氏子等相諮って此の浄地を黙して勝村建設株式会社に委託し、浄財を傾けて新に丹青色濃く奮に倍する神厳なる社殿神輿を頸し、昭和四十八年七月遷宮の式典を挙げ奉り了ぬ。よってここに才の乏しきを顧りみずその縁由を録して後毘に伝ふるものなり。(境内石碑より)
「千葉県神社名鑑」による小金八坂神社の由緒
八坂神社
当社は小金天王脇一番地に鎮座した。天文年間、小金城主高城一族の城下、浜街道の要衝の地に、鎮守様として祇園の守護神を勧請したという。江戸時代に小金牧場奉行歴代の崇敬を受け、正徳元年社地を増す。享保二年には銅瓦葺五尺四面の壮麗な社殿を二間四方の石畳の上に造営、大勝院祐運等の力によって一丈一尺の神表を造額し、正一位牛頭天王の極位を授かる。(「千葉県神社名鑑」より)
「松戸市史料 第4集 松戸町誌・小金町誌」による小金八坂神社の由緒
八坂神社
小金町小金字天王脇ニアリ。祭神ハ素戔嗚尊ニシテ旧村社ナリ。祭日ハ毎年自七月十一日至七月十五日、創建年月日詳カナラズ。境内ニ菅原、阿夫利、稲荷ノ三末社アリ。氏子ハ小金町小金全部ナリ。
本社殿ハ南面シテ、其構造タル五尺四面ノ槻造ニシテ、竜其他ノ彫刻ヲ施シ、周囲ニ間四方ノ石畳ノ上ニ存ス。尾根ハ銅葺ニシテ棟ニ巴卍字ノ紋ヲ置ケリ。拝殿ハ本殿ノ南前ニアリ。草葺ノ平家ナリ。境内公孫樹・杉・榎等ノ老樹天ヲ摩セルモノアリテ、風致林トシテ其面積一反二十二歩アリ。(「松戸市史料 第4集 松戸町誌・小金町誌」より)
「稿本千葉県誌」による小金八坂神社の由緒
八坂神社
東葛飾郡(舊東葛飾郡)小金町大字字天王脇に在り、境内三百二十二坪、祭神は素盞嗚尊なり、創建年月詳ならず。社殿の構造頗る壮麗にして周圍に石垣を廻らせり、近郷屈指の名社にして、末社三座あり。(「稿本千葉県誌」より)
小金八坂神社の周辺図
参考資料
- 「千葉県神社名鑑」
- 「稿本千葉県誌」