中根寺|松戸市馬橋にある真言宗豊山派寺院

猫の足あとによる千葉県寺社案内

伊久山中根寺|下総四郡八十八所霊場

中根寺の概要

真言宗豊山派寺院の中根寺は、伊久山と号します。中根寺の創建年代等は不詳ながら、伊久山東照院と称していたとされ、いつしか当地へ移転、寛永年間(1624-1645)には中根寺と改称していたと伝えられます。本尊の薬師如来像は、弘法大師が一木から三体制作した薬師像の一体とされ、根本を根本吉祥寺、中根を馬橋中根寺、上部を印西市歓喜院に祀られたものとされ、地名もその古事に由来するといいます。下総四郡八十八所霊場56番です。

中根寺
中根寺の概要
山号 伊久山
院号 -
寺号 中根寺
住所 松戸市馬橋1913
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 -



中根寺の縁起

中根寺の創建年代等は不詳ながら、伊久山東照院と称していたとされ、いつしか当地へ移転、寛永年間(1624-1645)には中根寺と改称していたと伝えられます。本尊の薬師如来像は、弘法大師が一木から三体制作した薬師像の一体とされ、根本を根本吉祥寺、中根を馬橋中根寺、上部を印西市歓喜院に祀られたものとされ、地名もその古事に由来するといいます。

「千葉縣東葛飾郡誌」による中根寺の縁起

妙見菩薩腰掛の松
中根にありしが今は判明ならず、馬橋大川安太郎氏舊記に「往古中根村に伊久山東照院と稱せし寺院ありしが何れの頃か移轉せり然るに寛永年中東照院は中根寺と改名す當時地頭本多三彌より境内二段歩の附地ありたり。此中根寺の松の木は昔上野国妙見寺號秩父より下總国千葉へ御飛行の道筋なる長洲(今の長津川か)と云ふ荷揚の堤を經て三枝松徳右衛門と云ふものに千葉への案内を被賴、其説妙見號の腰掛けし松は即ち中根寺の松にして御腰掛松と云へり、夫より中根村の格別高き處にて御休息被成しが捨て置きし草履を其地に勧請して妙見大菩薩と云ふ斯くして徳右衛門は千葉迄案内せしが其縁を以て徳右衛門は近村や八ヶ村の神口札を引く云々」(「千葉縣東葛飾郡誌」より)


中根寺の周辺図


参考資料

  • 「千葉縣東葛飾郡誌」