茂原八幡神社|旧平野太神、旧郷社
茂原八幡神社の概要
茂原八幡神社は、茂原市茂原にある神社です。八幡神社の創建年代等は不詳ながら、上茂原字王子ノ宮に鎮座し平野太神と称していたといいます。延享年間に上茂原と茂原とに分村、当社は藻原寺境内へ遷座、明治3年当地へ遷座、明治7年郷社に列格しています。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 誉田別尊 |
相殿 | - |
境内社 | 三峰神社、御嶽神社 |
例祭日 | 春季例祭4月15日、秋季例祭9月 |
住所 | 茂原市茂原196 |
備考 | 旧郷社 |
茂原八幡神社の由緒
八幡神社の創建年代等は不詳ながら、上茂原字王子ノ宮に鎮座し平野太神と称していたといいます。延享年間に上茂原と茂原とに分村、当社は藻原寺境内へ遷座、明治3年当地へ遷座、明治7年郷社に列格しています。
「稿本千葉県誌」による茂原八幡神社の由緒
八幡神社
茂原町大字茂原字八幡小路に在り、境内九百七十四坪、祭神は譽田別尊なり。社傳に云ふ、本社は往古上茂原字王子ノ宮に鎮座して平野太神と稱せしが、延享の頃上茂原村と分離するに當り藻原寺境内に移して三十番神社に合祀し、後八幡太神と改稱せりと。明治三年十二月此の地に遷座し、同年九月郷社に列せらる、末社四座あり。大正三年一月幣饌料供進指定(「稿本千葉県誌」より)
「千葉県神社名鑑」による茂原八幡神社の由緒
社伝によると「安徳天皇寿永三年藤判官代邦道の創立にして後鳥羽天皇の建久二年天羽庄司直胤華表を再建す。寛元五年六月兵焚に躍り灰燼に帰せり。元茂原町上茂原村字王子宮に奉斎せられしが、亀山天皇文永四年僧日蓮当社修繕の事あり、藻原寺境内に移し三十番神社に合祀せり」という。明治初年の太政官布告に基づき明治三年一二月現在の地に奉還し、同七年九月郷社に列す。現在の拝殿は明治二四年の造営、本殿は昭和三三年一一月氏子崇敬者の浄財で竣工した。(「千葉県神社名鑑」より)
八幡神社の周辺図