鰭ケ崎雷神社|流山市無形民俗文化財の「おびしゃ」
鰭ケ崎雷神社の概要
鰭ケ崎雷神社は、流山市鰭ケ崎にある神社です。鰭ケ崎雷神社の創建年代等は不詳ながら、宝永5年(1708)には社殿が再建され、その後も修繕等維持されてきたといいます。当社で一月第三日曜日に執行される「おびしゃ」神事は流山市無形民俗文化財に指定されています。
社号 | 雷神社 |
---|---|
祭神 | 大雷神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 千葉県流山市鰭ケ崎1767 |
祭日 | 10月15日 |
備考 | - |
鰭ケ崎雷神社の由緒
鰭ケ崎雷神社の創建年代等は不詳ながら、宝永5年(1708)には社殿が再建され、その後も修繕等維持されてきたといいます。
「千葉県神社名鑑」による鰭ケ崎雷神社の由緒
単立神社のため記載なし(「千葉県神社名鑑」より)
「流山市史・近代資料編」による鰭ケ崎雷神社の由緒
雷神社
鰭ケ崎の里の御氏子に、災禍なく、取り作る五穀を始め、葉の片葉に至るまで、作り作るもの、八束穂の茂穂になし給ひと、恵み給ふ雷神社は、同區の東南、小金町の字横須賀に接したる字中島にありて、大雷神を祀る、創建の年月確然とは知るを得ざれども、今を去る二百〇五年前即ち寶永五年再建し、後猶享和年間に建立せしといふ。社殿は間口五尺、奥行四尺五寸、拝殿間口三間、奥行三間半、境内坪數百三十四坪、官有地第一種なりといふ、境内に六社の大神とて、祭神 伊弉諾命、伊弉冊命、天照大神、素戔嗚命、月讀命、蛭子命を同社に合祀せり、この六社大神を祀りしは、其年月不詳なれども、社殿の再建は弘化年間なりと、其の建物は、同區東福寺境内にありしが、神佛の混淆區別に際し、明治六年中、雷神社に遷し、合祀せしものなりといふ。(「流山市史・近代資料編」より)
「流山町誌」による鰭ケ崎雷神社の由緒
雷神社
流山町の東南横須賀に接したる字中島に在り大雷神を祀る建立不詳再建は今より二百余年前寶永五年なり例祭町俊十月十五日に之を行ふ社内に六社太神とて祭神伊弉諾尊、伊弉冊尊、天照太神、素戔嗚尊、月讀尊、蛭子命を祀る此六社太神は東福寺の境内に在りしが神佛混淆區別に際し明治六年爰に合祀せしものなり(「流山町誌」より)
鰭ケ崎雷神社所蔵の文化財
- 鰭ヶ崎おびしゃ行事(流山市指定無形民俗文化財)
鰭ヶ崎おびしゃ行事
「おびしゃ」は、関東地方各地に伝わる正月の行事で、流山市でも地区や神社を単位に行なわれている。
鰭ヶ崎では七軒が当番となり、一月の「おびしゃ」をはじめ、五月、九月にも「おこもり」を行うなど一年間の行事を運営する。当番の筆頭をハナト(初戸)という。
むかしは備神田という共有の水田を当番が耕作し、費用をまかなっていた。
「おびしゃ」は毎年一月第三日曜日に行われる。七軒の当番が七福神(ハナトは大黒様)に、次年の当番が裃姿で神社に集まり、祭礼、引継ぎの儀礼である「トウ渡し」のあと、赤鬼と青鬼の的にむかって矢を放つ。
その後の直会では、お囃子や神楽が奉納される。
夜になると、神社から次年の当番の家まで万灯をかかげ、花でかざった車をひいて、「送り込み」が行われる。(流山市教育委員会掲示より)
鰭ケ崎雷神社の周辺図
参考資料
- 「千葉縣東葛飾郡誌」
- 「千葉県神社名鑑」
- 諏訪神社兼務社