東福寺|習志野市谷津にある真言宗豊山派寺院

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瑠璃山東福寺|習志野七福神の恵比須

東福寺の概要

習志野市谷津にある真言宗豊山派寺院の東福寺は、瑠璃山医王院と号します。東福寺の創建年代等は不詳ながら、現在の本尊である薬師如来は天文元年(1532)にとある老僧が当寺住職の円観上人に託したものだといい、戦国時代には既に創建していたことがわかります。習志野七福神の恵比須、吉橋大師八十八所霊場76番です。

東福寺
東福寺の概要
山号 瑠璃山
院号 医王院
寺号 東福寺
住所 習志野市谷津2-11-17
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 -



東福寺の縁起

東福寺の創建年代等は不詳ながら、現在の本尊である薬師如来は天文元年(1532)にとある老僧が当寺住職の円観上人に託したものだといい、戦国時代には既に創建していたことがわかります。

「習志野市史」による東福寺の縁起

東福寺
谷津村の東福寺は本尊が薬師如来で、瑠璃光山医王院東福寺と号している。近世は通して馬加村宝幢寺の末寺であったが、明治年間には一時鷺沼村の慈眼寺の末寺になったようである。明治初期の本堂の規模は間口七間・奥行五間三尺。同寺の縁起によると、本尊の薬師如来は天平二年(七三〇)四月に、僧行基が難病平癒のために彫刻したものとある。その後、源義仲(木曽義仲、一一五四~八四)の守り本尊となっていたが、星霜数百年を経た天文元年(一五三二)三月にある老僧が東福寺を訪れ、住職の円観上人にこの話をして置いていったものという。円観は由緒あるこの薬師如来を直ちに本尊として、日々供養していたが、寛文四年(一六六四)八月宥円の代に、江戸の大仏師徳元が箔仏に修理しようとしたところ、仏罰を蒙り盲目になってしまったという。このような畏れ多い尊像であるが様々な霊験があり、なかでも眼病平癒祈願にはその効力は抜群であるとしている。
宥円のあと住職は、慶誉・実宥と続き、この実宥を法流開山として、以後法流二代覚栄・三代実円・四代真栄・五代実海・六代宥長・七代周算と続いている。そして享保年間(一七一六~一七三五)の住職である実円の代には、本尊の開帳が行われている。(「習志野市史」より)


東福寺の周辺図