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宝幢寺|千葉市花見川区幕張町にある真言宗豊山派寺院

宝幢寺の概要

真言宗豊山派の宝幢寺は、補陀落山と号します。宝幢寺の創建年代等は不詳ながら、大同元年(806)宥恵上人の創建と伝えられ、近隣に末寺を擁する本寺格の寺院だったといいます。明治5年馬加村内にあった末寺5ヶ寺を合併、阿弥陀寺のあった当地へ移転したといいます。千葉寺十善講八十八ヶ所霊場30番・31番・32番・33番です。

宝幢寺
宝幢寺の概要
山号 補陀落山
院号 -
寺号 宝幢寺
住所 千葉市花見川区幕張町2-1003
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 -



宝幢寺の縁起

宝幢寺の創建年代等は不詳ながら、大同元年(806)宥恵上人の創建と伝えられ、近隣に末寺を擁する本寺格の寺院だったといいます。明治5年馬加村内にあった末寺5ヶ寺を合併、阿弥陀寺のあった当地へ移転したといいます。

「千葉市史」による宝幢寺の縁起

宝幢寺
補陀落山観音院宝幢寺の創建由来は不詳であるが、伝承によると、平城天皇の大同元年(八〇六)宥恵上人によって建立されたという。本尊は聖観音(如意輪観音ともいう。)である。江戸時代には醍醐寺三宝院の直末寺として、武石の真蔵院など一ニカ寺を支配する格式があった。
明治五年十一月、「諸寺院中総本寺、本山を除き、檀家なき寺、住職なき寺院はすべて廃止するゆえ、その寺院の名称を教部省に届出ること」との太政官布告に基づき、馬加村の宝幢寺、東翳寺、阿弥陀寺、龍性院、正園寺、福寿院、延命寺、聖光寺の八カ寺を合併し、阿弥陀寺の境内を宝幢寺としている。明治二十九年、醍醐寺、長谷寺の協議によって、真言宗豊山派長谷寺の直末寺となり、現在に至っている。
旧無量山阿弥陀寺の略縁起によれば、治承三年(一一七九)正月、千葉常胤が現在の幕張海岸の海中にて、二体の阿弥陀如来を得て、幕張大須賀原に安置し、二院を創建したといわれる。一院を阿弥陀寺、一院を海隣寺と名付けた。後に海隣寺は佐倉市に移されている。阿弥陀寺の本尊となった阿弥陀如来像は、現在宝幢寺に伝えられ、昭和三十五年に同寺の大日如来坐像とともに市指定の文化財に指定されている。(「千葉市史」より)

「千葉縣千葉郡誌」による宝幢寺の縁起

寳幢寺(三寳院末)
幕張町馬加にあり。正観世音を本尊とす。堂宇間口七間奥行五間半、庫裡間口三間半奥行六間、境内坪数七百十九坪、境外所有地九町五畝歩あり。當寺檀徒總數實に四百三十五人なり。
往古馬加村には本寺寳幢寺、東翳寺、阿弥陀寺、龍往院、正圓寺、福壽院、延命寺等の七ヶ寺ありしを、明治五年大政官御布告に基き當村大須賀喜内東翳寺の外五ヶ寺を本寺の寳幢寺に合併し廢寺に關する財産は村民の賛成を得て幕張小學校(當時の濱田小学校)基本財産とされたり。
明治五年大政官御布告
諸寺院中總本山本寺を除く外無檀にして無住の向は自今渾ら被廢寺所分上字名寺號等詳委取調教部省に可届出候事。
壬申十一月七日 大政官(「千葉縣千葉郡誌」より)

「稿本千葉県誌」による宝幢寺の縁起

補陀落山宝幢寺(幕張町)
同郡(千葉郡)幕張町大学馬加字北下川に在り、境内七百十九坪、真言宗三寳院の小本寺なり。寺傳に云ふ、大同元年宥憲法印開基すと。(「稿本千葉県誌」より)


宝幢寺の周辺図