天御中主神社|佐倉市上志津の神社
天御中主神社の概要
天御中主神社は、佐倉市上志津にある神社です。天御中主神社は、志津城跡地と伝えられる当地に鎮座、妙見菩薩と称して、社殿は寛永3年(1626)に建立したと伝えられます。明治維新後の社格制定に際し村社に列格していました。境内社叢は上志津八幡神社と共に佐倉市市民文化資産となっています。
社号 | 天御中主神社 |
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祭神 | 天御中主命 |
相殿 | - |
境内社 | 天満宮、疱瘡神、浅間大神 |
例祭日 | 9月15日 |
住所 | 佐倉市上志津962 |
備考 | - |
天御中主神社の由緒
天御中主神社は、志津城跡地と伝えられる当地に鎮座、妙見菩薩と称して、社殿は寛永3年(1626)に建立したと伝えられます。明治維新後の社格制定に際し村社に列格していました。
境内掲示による天御中主神社の由緒
天御中主神社
この神社はもともと、妙見菩薩を祭っていました。妙見菩薩は、北極星を神格化したもので、千葉県北部に勢力を伸ばした千葉氏が信仰した氏神として知られています。
神社を含むこの一帯は、志津城跡と考えられ、中世には志津氏あるいは千葉氏系統の豪族の館があったとされています。現在の社殿は、寛永三年(一六二六)、付近の八幡神社と同じ年に創建されたと伝えられます。明治時代の神仏分離令により、妙見菩薩と同一とされた天御中主神に祭神が改められました。
現在でも地元では「妙見さま」と呼ばれて親しまれ、昭和五十年代までは、境内で盆踊りが行われていました。平成十二年二月には、社殿の裏山から、中世の常滑焼の大甕が出土し、中から人骨、古銭、カワラケなどが見つかりました。この辺りが城館だった頃のものと考えられ、長い歴史の息吹を感じることができる貴重な文化遺産です。(境内掲示より)
「千葉県神社名鑑」による天御中主神社の由緒
由緒に関する記載なし(「千葉県神社名鑑」より)
「印旛郡誌」による天御中主神社の由緒
村社天御中主神社
上志津區字干場にあり天御中主命を祭る寛永三丙戊年十一月廿五日の創立にして毎年七月二十二日再典を執行す社殿間口一間半奥行一間二尺境内四百三坪(民有地第二種)あり氏子五十八戸を有し山本吉蔵社掌たり管轄廳まで三里二十一町とす境内神社三社あり即
一、菅相丞靈を祭る文政十二年丑九月吉日創立にして建物間口五尺奥行四尺
二、疱瘡神社 大巳貴尊を祭る由緒不詳建物一尺五寸四方なり
三、石尊大神 大山祇命を祀る文化十二亥年八月吉日の創立にして由緒不詳建物間口四尺奥行三尺なり(神社明細帳)(「印旛郡誌」より)
天御中主神社所蔵の文化財
- 上志津の神社と社叢(八幡神社・天御中主神社)(佐倉市市民文化資産)
天御中主神社の周辺図
参考資料
- 千葉県神社名鑑
- 「印旛郡誌」