教蔵寺|佐倉市岩富町にある日蓮宗寺院

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京隆山教蔵寺|佐倉市岩富町にある日蓮宗寺院

教蔵寺の概要

佐倉市岩富町にある日蓮宗寺院の教蔵寺は、京隆山と号します。教蔵寺は、日什上人の法孫妙宣院日照(文安元年1444年寂)が、当地にあった真言宗光明院を廃して、日什上人を開山に仰いで開基創建したといいます。

教蔵寺
教蔵寺の概要
山号 京隆山
院号 -
寺号 教蔵寺
住所 佐倉市岩富町400
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



教蔵寺の縁起

教蔵寺は、原左衛門尉朗純が開基檀越となり、平賀本土寺九世妙高院日意上人が享徳元年(1452)に開山したといいます。日意上人は、当寺をはじめ小西正法寺・市原光徳寺など数多くの寺院を開山した名僧で、当寺住職2世・3世・4世・5世はいずれも後に平賀本土寺住職に転任しています。明治維新後の学制発布に際し明治5年から明治43年まで弥富小学校の前身となる尋常小學校飯塚分教場が当寺に置かれていました。

「印旛郡誌」による教蔵寺の縁起

教蔵寺
岩富町字本宿にあり京隆山と號す本尊釋迦牟尼佛にして日蓮宗に屬し本土寺の末寺なり享徳元年の開創たり縁起に當所彌富城主大檀那原信濃守殿御子息原左衛門尉法名明純公皈依に因て再建之有之焉とあり本山九世妙高院日意上人の開基にして什寶として傳教大師作鬼子母神の像を安置す堂宇間口八間半奥行六間境内七百九十七坪(官有地第四種)あり檀徒三百二十九人を有し小清水堯英を住職とす管轄廳まで三里十八町あり(寺院明細帳郷土誌)(「印旛郡誌」より)

「佐倉市史」による教蔵寺の縁起

教蔵寺(岩富町)
本土寺末であった。本尊釈迦如来。本土寺九世日意上人の開創によるもので、岩富城主原氏の加護によった。教蔵寺過去帳に”開創者、享徳元年・・・、其後天文年中、当所城主大檀那原信濃守殿御子息原左衛門射法名朗純公、帰依に因り再建立之有”と記録され、日蓮宗年表にも当寺が享徳元年創立としている(松浦委員調査より)。
なお右の朗純は長福寺過去帳には”原左衛門胤凉朗純、天文二十三年甲寅七月十日(歿)三十七才”と見える。また一説には、開基は原左衛門(岩富城主)朗珍で享徳元年二月八日とし、開山は日意上人で享徳三甲戌四月八日に創立との記録もある。この朗珍は、長福寺過去帳には応仁元丁亥(一四六七)年十一月十三日、ヒノ木原にて討死と出ている。(「佐倉市史」より)

「日蓮宗寺院大鑑」による教蔵寺の縁起

享徳元(1452)年の創立。開山妙光院日意。開基檀越原左衛門尉朗純。奠師法縁。開山日意が当山を根拠とし下総・上総に教線を張り、小西正法寺を始め各寺を開基された。諸堂完備したが、数次の兵火で焼失し、13世日学が本堂、17世日燿が客殿再建。19世日琢は浅草本法寺より伝教大師作の子安鬼子母神を遷座、25世日随は三光堂・庫裡改築、26世日是は二王門を建立したが、大正3年台風のため倒壊、同6年御影石山門を建立。30世日迅は博学にて数多の子弟を集め本堂で教育を始め、明治5年学制発布と共に、そのまま弥富学校となった。明治の晩年、大嵐のため本堂大破。36世日顕は昭和47年本堂建立、37世が昭和50年庫裡を改築した。(「日蓮宗寺院大鑑」より)


教蔵寺の周辺図


参考資料

  • 「印旛郡誌」
  • 「佐倉市史」
  • 「日蓮宗寺院大鑑」