勝興山長福寺|岩富城主原左衛門尉景廣開基、日意上人開山
長福寺の概要
佐倉市岩富にある日蓮宗寺院の長福寺は、勝興山と号します。長福寺は、彌富城主(岩富城主)原左衛門尉景廣が、平賀本土寺九世妙高院日意上人の説法を受け享徳年間(1452-1455)に帰依、原家の菩提寺だった願正院西福寺を日蓮宗に改めて坂戸へ移転させ、文明2年(1470)に当寺を創建して原家の菩提寺と定めたといいます。また梵鐘は、元禄七年に鋳造されたもので、佐倉市有形文化財に指定されています。
山号 | 勝興山 |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 長福寺 |
住所 | 佐倉市岩富1849 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
長福寺の縁起
長福寺は、彌富城主(岩富城主)原左衛門尉景廣が、平賀本土寺九世妙高院日意上人の説法を受け享徳年間(1452-1455)に帰依、原家の菩提寺だった願正院西福寺を日蓮宗に改めて坂戸へ移転させ、文明2年(1470)に当寺を創建して原家の菩提寺と定めたといいます。日意上人は、当寺をはじめ小西正法寺・市東光徳寺など数多くの寺院を開山した名僧です。
「印旛郡誌」による長福寺の縁起
長福寺
岩富村字殿山にあり勝興山と號す日蓮宗にして本土寺末寺たり仙壽院蓮乘院福壽院の三末寺を有す本尊は三寶諸尊日蓮大士なり下總國葛飾郡平賀村本土寺九世日意上人享徳年中始めて彌富城主原左衛門尉景廣に謁し説法の處至て信仰に依り菩提寺彌富郷願正院を歸依なり后に宗論勝劣に依て城地の西坂戸村へ移之于今願正院西福寺と云ふあり然るに付文明二年三月岩富村字殿山へ勝興山長福寺と稱し一宇建立則日意上人開基原氏代々の菩提所と確定の由古老の口碑は勿論梵鐘明文大檀那原左衛門尉と亦石碑誌も有之且正保年中一村水帳中字願正院の地銘古城跡向に歴然たり但彌富郷后岩富號日意上人入城地たり(寺院明細帳)文明五年四月九日五十三にして遷化し遺骨を當寺東南叢竹中に葬る楓樹を植ゑて墓標とす俗に之を楓の墓と呼ぶ什物として當寺蔵する物に大黒天一躰(行基菩薩作)宗祖日蓮眞補ね並びに縁起毘沙門天一躰(傳教大師作)日蓮上人眞筆(消息文体三幅)を存す(郷土史)堂宇間口九間奥行発見庫裏間口十間奥行五間境内一千七百十九坪(官有地第四種)あり住職は中村日要にして檀徒九百三十五人管轄廳まで三里二十町あり(寺院明細帳)
〇(新撰佐倉風土記云)在岩富文明二年彌富城主原景廣建之有北田氏康寄田状云按岩富舊作彌富也(「印旛郡誌」より)
「佐倉市史」による長福寺の縁起
長福寺(岩富)
平賀本土寺末であった。開基は岩富城主原景弘、開山は日意上人。口碑によると(印旛郡誌)享徳年中、日意上人が景弘に謁して説法したが、景弘はこれから法華宗を信仰し、従来帰依していた菩提寺の弥富郷願正院を城地の坂戸村に移し、文明二年三月、岩富村字殿山へ一寺を建立して勝興山長福寺と号し、開基原氏代々の菩提寺とした。願正院は現在、坂戸の西福寺がそれであるという。当寺の開基については千葉大系図に”景弘・原左衛門射・法号朗弥、文明二年三月、白井庄弥富郷ニ於テ日蓮宗勝興山長福寺ヲ造立ス”とある。また長福寺梵鐘(元禄七年)の銘に「当寺開基日意上人焉、大檀度原左衛門景弘矣、建立文明二庚寅・・・」と刻まれている。開山が日意上人であることは松裏委員も同寺を調査し、その報告書に次のように述べている。”古来当寺は文明二年、日意上人の開創と称されているが、これについて日蓮宗年表は、文明癸巳四月九日平賀妙高院日意寂(五三)平賀焼失を復興し小西正法寺を改宗せしめ、市東光徳寺・弥富長福寺など十一ケ寺を建て、古河の法論に勝ち、常に諸方に遊暦には牛に乗り、法萃八軸を掛けたり。とあり、又、別本に、文明四壬辰年八月廿四日、下総本土寺日意、弥富長福寺に於て本尊鈔の談義を開き九月八日終了。文明五発巳年四月九日上総小西正法寺祖妙高院日意下総弥富長福寺に於て寂五三、とあるから当寺開山が文明二(一四七〇)年、平賀本土寺九世日意上人であることは疑いない”と。開山日意は文明五年四月遷化、当寺域内に葬ったが、楓を植えて墓標としたのでこれを楓の墓と呼んでいる。
なお、当寺には日蓮宗々宝指定の日蓮の真筆と、外に下山御書(建治三年、日蓮が弟子因幡房日永に代ってその父下山兵庫助光基に宛てたもの)等の文書を所蔵している。長福寺は日意が長福寺を拠点として教勢の拠張に努めたので、長福寺二世日端の代には近在に同寺の末寺を創建した。(「佐倉市史」より)
長福寺所蔵の文化財
- 梵鐘(元禄七年在銘)(佐倉市指定有形文化財)
梵鐘(元禄七年在銘)
この梵鐘は、元禄七年(一六九四)長福寺十七世日堯住職のときに、江戸深川の工人田中七右衛門によって鋳造されたもので、梵鐘の銘には長福寺の由緒等が記されています。
総高は、一四五センチメートル、口径は七六センチメートルで、江戸時代の梵鐘の特徴である駒の爪(鐘の最下部)が太く外に出張る形を備えています(佐倉市教育委員会掲示より)
長福寺の周辺図
参考資料
- 「印旛郡誌」
- 「佐倉市史」