久榮山妙隆寺|佐倉七福神の大黒天
妙隆寺の概要
佐倉市鏑木町にある日蓮宗寺院の妙隆寺は、久榮山と号します。妙隆寺は、平賀本土寺九世日意上人が文明3年(1471)に創建したといいます。佐倉七福神の大黒天です。
山号 | 久榮山 |
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院号 | - |
寺号 | 妙隆寺 |
住所 | 佐倉市鏑木町188 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
妙隆寺の縁起
妙隆寺は、平賀本土寺九世日意上人が文明3年(1471)に創建したといいます。佐倉七福神の大黒天です。
「佐倉市史」による妙隆寺の縁起
妙隆寺
中山法華経寺末であった。本尊釈迦如来。文明三(一四七一)年四月、平賀本土寺九世日意上人の創建で当初は本土寺末であったろうが、その後、如何なる事情で法華経寺末になったものか、その年時等は不明である。当寺に釈迦の像一体が安置されているが、台座から光背を含めて高さは一尺五寸五分、仏体は八寸。その厨子の扉の裏側に(右)釈迦仏一躰、定朝作、天正十二甲申□月晦日原山城守胤安納之。久栄山五性日信代との墨書がる。この原胤安は前記の文殊寺の再興者で遠江守胤平の第二子、原上総介胤定の弟である。開山の日意上人が原氏の庇護で弥富に本土寺の末寺を建てているので、上勝田の妙勝寺と共に鏑木にも本土寺は教線を伸ばした一連のものとも考えられる。(「佐倉市史」より)
「印旛郡誌」による妙隆寺の縁起
妙隆寺
鏑木村字袋町にあり日蓮宗にして法華經寺末なり釋迦牟尼如来を本尊とす文明三年四月の創建にして堂宇間口七間奥行五間五尺境内八百七十七坪(官有地)あり住職は村上戒俊にして檀徒八百五十人を有し管轄廳まで四里十八町なり境内佛堂二宇あり即
一、鬼子母神堂。鬼子母尊天を本尊とす由緒不詳建物間口三間半奥行三間半
二、観音堂。観世音菩薩を本尊とす由緒不詳(寺院明細帳)(「印旛郡誌」より)
妙隆寺の周辺図