佐倉七福神
佐倉七福神の概要
佐倉七福神は、佐倉市中心部にある七寺社で構成される七福神めぐりです。
佐倉七福神一覧
佐倉市新町188
嶺南寺は、曹洞宗にして寛永19年(1642年)当時信濃松本藩主であった堀田加賀守正盛の佐倉移封と共に松本より佐倉へ移り建立された。「釈迦尼佛」を本尊とし、御開山は陽南良雪大和尚である。堂内に閻魔大王を安置し(毎年8月16日開帳)、また作家吉川英治の母方である山上家の墓があります。(「佐倉七福神」ガイドマップより)
佐倉市新町78-1
甚大寺は、天台宗比叡山延暦寺の末寺として1615年に建立された寺です。堀田家の菩提寺であり、本尊は十一面観音菩薩。その他、金毘羅尊、不動明王、毘沙門天、仁王尊が奉られ、毎月10日は招福祈願して縁日が開催されます。また境内には、健康を願って「お身ぬぐい観音」も奉られています。(「佐倉七福神」ガイドマップより)
佐倉市新町89
宗圓寺は、寛永16年に松本城主堀田加賀守正盛が松本に建立した円覚山慧光院の境内に、19歳で卒去した正盛の弟堀田佐兵衛安利の冥福を祈り塔頭の寺として建立。寛永19年(1642年)に佐倉の現地に移しました。墓地には、家老渡辺弥一兵衛の墓(東山千恵子の実家)、執政・香宗我部家の墓、順天堂創立者・佐藤泰然の墓等があります。(「佐倉七福神」ガイドマップより)
佐倉市弥勒町93-1
松林寺は、佐倉藩主土井利勝が土井家菩提寺として、佐倉城の築城と同時期に建立された。現本堂は利勝が春日局より譲り受けた聖観音像を安置する為に建てた観音堂です。毘沙門天像は、大佐倉の陣屋に家康の五男武田信吉が祀ったのを最後に松林寺(土井家)に奉納されたと伝わっています。(秘仏のため公開はしていません)(「佐倉七福神」ガイドマップより)
佐倉市鏑木町188
文明3年(1471)本土寺第九世日意上人によって開創。当社は、佐倉城の大手門を出た右側にあったが宝永年間に現在位置に移る。山内に子安鬼子母神、大黒天、清正公、稲荷尊をまつり、毎年立春に祈祷祭を行っている。本堂内に大黒天奉安。(「佐倉七福神」ガイドマップより)
佐倉市鏑木町933
麻賀多神社は、佐倉城鎮守・城地鎮護の神として、多くの尊崇を集めております。御祭神「稚産霊命」様は、万事を結び育てる御神徳があり、健児育成・心願成就を祈る方々の姿が見られます。境内では、樹齢八百年の大銀杏や古木が茂り、市民の憩いの場となっております。(「佐倉七福神」ガイドマップより)
佐倉市鏑木町188
大和田山大聖院(だいわださんだいしょういん)と称し、鎌倉時代に開山した真言宗豊山派の寺院です。本尊の大日如来は、佐倉市指定有形文化財に指定されています。宮小路武家屋敷奥に位置し、参詣者や散策の姿が多く見られます。(「佐倉七福神」ガイドマップより)
七福神巡り
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参考資料
- 日本全国七福神めぐり(セントラル出版)