正覚山宗圓寺|佐倉七福神の壽老人
宗圓寺の概要
佐倉市新町にある臨済宗妙心寺派寺院の宗圓寺は、正覚山と号します。宗圓寺は、松本城主堀田加賀守正盛が、弟堀田佐兵衛安利の冥福を祈り寛永16年(1639)に創建、寛永19年(1642)に佐倉への転封に伴い、当寺も当地へ移転しました。佐倉七福神の壽老人です。
山号 | 正覚山 |
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院号 | - |
寺号 | 宗圓寺 |
住所 | 佐倉市新町89 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
宗圓寺の縁起
宗圓寺は、松本城主堀田加賀守正盛が、弟堀田佐兵衛安利の冥福を祈り寛永16年(1639)に創建、寛永19年(1642)に佐倉への転封に伴い、当寺も当地へ移転しました。佐倉七福神の壽老人です。
佐倉市七福神栞による宗圓寺の縁起
宗圓寺は、寛永16年に松本城主堀田加賀守正盛が松本に建立した円覚山慧光院の境内に、19歳で卒去した正盛の弟堀田佐兵衛安利の冥福を祈り塔頭として建立。寛永19年(1642)に佐倉の現地に移しました。墓地には、家老渡辺弥一兵衛の墓(東山千恵子の実家)、執政・香宗我部家の墓、順天堂創立者・佐藤泰然の墓等があります。(佐倉七福神栞より)
「印旛郡誌」による宗圓寺の縁起
宗圓寺
新町字仲町にあり臨済宗にして本山妙心寺末なり観世音を本尊とす寛永十八年中堀田加賀守創立活堂和尚開山其他由緒不詳堂宇明治十七年十二月十七日焼失仝十九年七月廿日許可を得て再建し間口六間奥行四間半あり境内は一反四畝九歩(民有地第一種)にして上埴生郡五郷村應徳寺住職藤宗寔之を兼務す檀徒三百人管轄廳まで四里三十町とす境内佛堂二宇あり即
一、薬師堂。薬師如来を本尊とす弘法大師の御作なり堂宇は明治十九年七月廿日の再建にして間口二間奥行二間五分あり
二、大師堂。弘法大師を本尊とす弘法大師の御作なり堂宇は明治由緒不詳建物間口二間奥行一間(寺院明細帳)(「印旛郡誌」より)
宗圓寺所蔵の文化財
- 家老渡辺弥一兵衛の墓所
- 執政・香宗我部家の墓所
- 順天堂創立者・佐藤泰然の墓所
宗圓寺の周辺図