実蔵院|佐倉市臼井田にある真言宗豊山派寺院

猫の足あとによる千葉県寺社案内

大澤山実蔵院|うすい花の寺八ヶ寺の牡丹

実蔵院の概要

佐倉市臼井田にある真言宗豊山派寺院の実蔵院は、大澤山建徳寺と号します。実蔵院の創建年代等は不詳ながら、往古は末寺21ヶ寺を擁した檀林所だったといいます。明治36年には山口永隆住職が明倫中学を開校、昭和17年の閉校まで40年間に亘り、中等教育にあたっていました。千葉寺十善講八十八ヶ所霊場59番、うすい花の寺八ヶ寺の牡丹の寺です。

実蔵院
実蔵院の概要
山号 大澤山
院号 実蔵院
寺号 建徳寺
住所 佐倉市臼井田217
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 -



実蔵院の縁起

実蔵院の創建年代等は不詳ながら、往古は末寺21ヶ寺を擁した檀林所だったといいます。明治36年には山口永隆住職が明倫中学を開校、昭和17年の閉校まで40年間に亘り、中等教育にあたっていました。

「印旛郡誌」による実蔵院の縁起

實蔵院
臼井臺町字山崎にあり大澤山建徳寺と號す新義眞言宗の檀林にして大和の長谷寺に屬す本尊を不動明王とす寺は元来古刹なれども中古或は回禄の災厄に逢ひたるものか舊記古文等更に創立時代をも知ること能はず舊本末二十一個寺と稱したれども中古廢寺となりたるもの多く現今左の十個寺を存せり
長圓寺(師戸)・常泉院(角来)・成就院(飯重)・東福寺(飯重)・松虫寺(松虫)・結縁寺(結縁寺)・徳性院(瀬戸)・千歳寺(馬渡)・圓福寺(物井)・寶蔵院(物井)
寺寶として傳ふるもの左の如し
一、十三佛圖(土佐雅楽助廣信筆)三幅一對
一、彌陀坐像(惠心僧都作)一軀
一、釋迦入滅圖(平安中西某筆)一幅
堂宇間口二間奥行二間半境内八百八十五坪(官有地第四種)檀徒四百八十二人を有す山口永隆寺務を掌る管轄廳まで四里十八町とす(寺院明細帳郷土誌)
---
私立明倫学校
明治卅六年一月廿六日臼井台實蔵院内を以て仮校となす豫科一年本科三年にして中學程度の教育所なり仝卅七年十月校舎を新築し仝四十年四月更に第二校舎を新築せり校主山口永隆の經營する所なり (「印旛郡誌」より)

「佐倉市史」による実蔵院の縁起

実蔵院(臼井台町)
真言宗・大和長谷寺末(旧)、本尊不動明王。創建は不明であるが、当市内の古刹であることは次の諸点からも察せられる。(1)同寺に安置の阿弥陀如来像は鎌倉時代後期の作と見られるとと。(2)境内に一四間四方の大きな塚があるが、これは慶長十三年以来、臼井七給(七人の旗本領)の一人、川口茂右衛門の墓であるが、台町の由緒ある寺ということに基くものであろう。(3)旧来、当寺の旧末寺は二一ケ寺と数えられたが廃寺となったのもあるので、現在は一〇ケ寺(旧)である。そのうちには上代に創建したと伝えらる松虫寺(印旛村)結縁寺(印西町)等のあるととも同寺の由緒を物詩るものである。(「佐倉市史」より)


実蔵院所蔵の文化財

  • 旧制明倫中学跡

旧制明倫中学跡

明治三十六年(一九〇三)、明倫学校は臼井台の真言宗豊山派実蔵院に、住職の山口永隆によって創立されました。建学の目的は、開祖弘法大師空海の綜芸種智院(一般庶民のための学校)にあやかり、農家の子弟に中等教育を授け、ひいては当時の疲弊した農村の振興を担う後継者を養成することでした。
当初は校長兼教員の山内永隆を中心に、仏教精神の下に男子生徒二十七人の教育に当り、その後生徒も増え、大正十五年(一九二六)には中学校同等の資格を得て、翌年に明倫中学と改称しました。
そして、昭和五年(一九三〇)には生徒数五〇〇名の増員許可を得るほどになりました。
その後、農村布教の波を受けて生徒数が減少し、私学運営が難しい時代に入りました。この苦境にあって、山口は建学の精神を胸にさまざまな努力を重ねました。
そして、多数の卒業生を送り出した中学は、昭和十七年(一九四二)第三十七回卒業生を最後として四十年の歴史を閉じました。(佐倉市教育委員会掲示より)

実蔵院の周辺図