富塚鳥見神社|白井市富塚の神社

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富塚鳥見神社|一木から竜が彫り出された庇柱の本殿

富塚鳥見神社の概要

富塚鳥見神社は、白井市富塚にある神社です。富塚鳥見神社の創建年代等は不詳ながら、当地の川上祖先が氏神として鳥見神社を創祀、その後一村の鎮守として奉斎するようになったといいます。明治維新後の社格制定に際し村社に列格、明治41年地内の聖天社・駒形神社・稲荷神社・子ノ神社・嚴嶋神社3社を合祀しています。当社本殿の庇柱は、一木から彫り出された竜の装飾がほどこされた意匠で、本殿は棟札と共に市有形文化財に、また富塚字宮ノ前から遷座合祀された歓喜天石像、切られ庚申も共に市有形文化財に指定されています。

富塚鳥見神社
富塚鳥見神社の概要
社号 鳥見神社
祭神 饒速日命
相殿 -
境内社 富士浅間神社
住所 千葉県白井市富塚694
祭日 11月3日
備考 -



富塚鳥見神社の由緒

富塚鳥見神社の創建年代等は不詳ながら、当地の川上祖先が氏神として鳥見神社を創祀、その後一村の鎮守として奉斎するようになったといいます。明治維新後の社格制定に際し村社に列格、明治41年地内の聖天社・駒形神社・稲荷神社・子ノ神社・嚴嶋神社3社を合祀しています。

千葉県神社名鑑による富塚鳥見神社の由緒

由緒に関する記載なし(千葉県神社名鑑より)

「印旛郡誌」による富塚鳥見神社の由緒

村社鳥見神社
富塚村字南にあり饒速日命倉稲魂命市杵嶋姫命少彦名命を祭る往古川上英太郎祖先の氏神を一村の鎮守と尊稱すと言傳迄にて創立年月日不詳勅令一二〇號に依り明治四十一年四月二十一日出願し仝年十一月四日付許可を得て仝所宮ノ前無格社聖天社仝所仝字無格社駒形神社仝所字荒久尻無格社稲荷神社仝所字上無格社嚴嶋神社仝所字中下嚴嶋神社仝所字追堀無格社嚴島神社仝所字子ノ神無格社子ノ神社を仝年十一月二十三日合祀す社殿間口一間奥行一間境内五百七坪(官有地第一種)ありて老松鬱蒼たり神官は小松嘉治にして氏子四十八戸を有し管轄廳まで八里二十四町十一間一尺なり(神社明細帳)毎年十一月三日祭典を執行す十二座神楽の催あり(「印旛郡誌」より)


富塚鳥見神社所蔵の文化財

  • 富塚鳥見神社本殿附棟札、玉垣(白井市指定有形文化財)
  • 鳥見神社の切られ庚申(白井市指定有形文化財)
  • 鳥見神社の歓喜天(白井市指定有形文化財)

富塚鳥見神社本殿附棟札、玉垣

富塚地区の産土様で、創建の時期は不明だが、慶安三年(一六五〇年)、享保十九年(一七三四年)、寛政九年(一七九七年)、文化九年(一八一二年)、明治八年(一八七五年)の五枚の棟札が残る。本殿の建造・修築の来歴がはっきりしている貴重な神社建築である。
現在の本殿は文化九年(一八一ニ年)のものと考えられ、一間社流造で、総ケヤキの素木造りである。本殿には随所に壮麗な彫刻が施される。特に庇柱は、竜の巻き付いた意匠が一木から見事に彫出されており、県内でも類例は少ない。壁面の羽目板には全て二十四孝を題材に彫刻がなされ、南面は「楊香」、西面は「唐婦人」、北面は「郭巨」を首題とする。当本殿は規模、年代、彫刻ともに市を代表する神社建築のひとつである。大工は地元神々廻出身と考えられる笠井杢之直、彫工は竹田重三郎で、それぞれ県内外で活躍し、多くの神社建築や彫刻を残している。
屋根はもともと草葺だったが、明治八年(一八七五年)に銅板葺に改修された。桟瓦葺への改修は最近のものである。
本殿と併せて棟札五枚、本殿を巡る玉垣(弘化四年(一八四七年)造)についても、市内に類例の少ない貴重なものであり、関連性の高い資料として附指定とした。(白井市教育委員会掲示より)

鳥見神社の切られ庚申

鳥見神社の参道には多く庚申塔が並んでいますが、その一番奥側(本殿側)に建つこの庚申塔は、安山岩製の板碑型の三猿庚申塔で、高さは一〇二cmあります。表面には「奉造立庚申二世安楽之所」の文字と共に雲龍坊など十三名の名が陰刻され、下部には三猿(向って右から、言わざる聞かざる見ざる)が陽刻されています。一方、右背側面には大きくえぐられた傷があります。宝永三年(一七〇六)に建てられたこの庚申塔は本来、我孫子市布佐など利根川岸から白井市内を経て松戸市へと続いていた「鮮魚道」の脇に建っていたもので、明治時代の初期にこの場所に移されたものだと言われています。鮮魚道は江戸時代に銚子で水揚げされた魚を運ぶのに利用された道です。庚申塔のえぐられた部分は、魚を運搬する鮮魚師がある夜中に火の玉に襲われ、恐ろしさのあまり闇雲に刀を振い、誤って切り付けてしまった刀跡だという伝承があります。鮮魚道の存在は近世の白井を語る上で大きな特徴の一つであり、本庚申塔は鮮魚道にまつわる伝承を持つ市内でも代表的な文化財として貴重なものです。(白井市教育委員会掲示より)

鳥見神社の歓喜天

歓喜天は大聖歓喜天または聖天と呼ばれ、人身象頭の特異な姿をもつ、像は男女二天が抱擁する双身像が最も多く造られ、男女和合・縁結び・子恵みおの神とされている。
また、正面には「大聖歓喜天」、右側面に「腰大道師天龍山権大僧都法印興憲 奉新造替客殿壹宇如意成就所 腰急雨山西輪寺圓乗院貫随」と文字が刻まれ、この塔が富塚村の西輪寺の関係者によって、客殿の造り替えを記念して明和八年(一七七一年)に造立されたことが確認できる。
造立の経緯については、当初富塚字宮ノ前に安置されていたものが、明治四十一年(一九〇八年)に鳥見神社に合祀されたということは伝えられているが、その他の詳しいことは伝えられていない。
この石塔は、市内に存在する唯一の歓喜天像であると共に、信仰上の見地からも非常に貴重な資料である。(白井市教育委員会掲示より)

富塚鳥見神社の周辺図