急雨山西輪寺|東葛印旛大師八十八ヶ所霊場
西輪寺の概要
白井市富塚にある天台宗寺院の西輪寺は、急雨山圓乗院と号します。西輪寺の創建年代等は不詳ながら、明治維新後の明治6年に富塚尋常小学校に西輪寺本堂を教場として開校、明治21年まで小学校に供用されていました。当寺太子堂の本尊聖徳太子立像は室町時代の作とされ、白井市有形文化財に指定されています。しろい七福神の福禄寿、東葛印旛大師八十八ヶ所霊場24・55番です。
山号 | 急雨山 |
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院号 | 圓乗院 |
寺号 | 西輪寺 |
住所 | 白井市富塚905 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
西輪寺の縁起
西輪寺の創建年代等は不詳ながら、明治維新後の明治6年に富塚尋常小学校に西輪寺本堂を教場として開校、明治21年まで小学校に供用されていました。
「印旛郡誌」による西輪寺の縁起
西輪寺
富塚村字上にあり急雨山圓乗院と號し天台宗にして泉倉寺末なり阿彌陀如来を本尊とす由緒不詳堂宇間口六間奥行五間境内三百二十坪(民有地第一種)あり住職は藤代亮深にして檀徒四十四人を有し管轄廳まで八里二十四町十二間なり境内佛堂一宇あり即
一、太子堂。聖徳太子を本尊とす由緒不詳建物間口三間奥行三間(寺院明細帳)(「印旛郡誌」より)
西輪寺所蔵の文化財
- 木造聖徳太子立像(白井市指定有形文化財)
木造聖徳太子立像
西輪寺太子堂に祀られる本尊である。髪は美豆良を結い、両手は柄香炉を持つ。衣の上には袈裟を身に着け、足には沓を履く。像高は一〇二・五cm、体部は桧材による寄木造、目は玉眼を嵌め入れ、全身に色彩を施す。本像の形は「孝養太子像」と呼ばれ、聖徳太子が一六才の頃、父である用明天皇の病の平癒を願う姿とされている。本像は、無理の無い自然な姿勢や、現実感のある顔立ち、無難な衣さばきなど、像の構造や造形から見て、南北朝時代、一四世紀の制作と考えられる。
富塚地区には「村雨丸伝説」という伝説が残され、江戸時代には本像が篤い信仰を集めていたことで知られている。本像は当地の太子信仰を伝える作例として、また、市内に残る唯一の中世太子像として、本市の文化史上貴重なものである。(白井市教育委員会掲示より)
西輪寺の周辺図
参考資料
- 印旛郡誌