墨六所神社|印旛郡酒々井町墨の神社

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墨六所神社|墨の獅子舞

墨六所神社の概要

墨六所神社は、印旛郡酒々井町墨にある神社です。墨六所神社の創建年代等は不詳ながら、武士相原文治郎が諸国遍歴中に当地にて客死、相原文治郎の守り本尊だった奥州塩釜神社のの御分体を祀り創建したと伝えられ、享保19年(1734)銘の棟札が残されているといいます。明治維新後の社格制定に際し村社に列格、明治41年字鏡下の諏訪神社、字馬場の熊野神社、字花ノ作の粟主神、字浅間脇の三峯神社・浅間神社、字小盛田の鷲神社、字大坂の浅間神社を合祀しています。当社例祭に奉納される「墨の獅子舞」は、社殿が建立(改築)された享保19年(1734)から伝承されたもので、に千葉県無形民俗文化財に指定されています。

墨六所神社
墨六所神社の概要
社号 六所神社
祭神 天御中主命、大日孁貴命、伊邪那岐命、伊邪那美命、經津主命、保食命、野熊久須毘命、天日鷲命、木花咲耶姫命、宇賀魂命、武御名方命
相殿 -
境内社 三峯神社、墨天神
例祭日 7月15日
住所 印旛郡酒々井町墨1079
備考 -



墨六所神社の由緒

墨六所神社の創建年代等は不詳ながら、武士相原文治郎が諸国遍歴中に当地にて客死、相原文治郎の守り本尊だった奥州塩釜神社のの御分体を祀り創建したと伝えられ、享保19年(1734)銘の棟札が残されているといいます。明治維新後の社格制定に際し村社に列格、明治41年字鏡下の諏訪神社、字馬場の熊野神社、字花ノ作の粟主神、字浅間脇の三峯神社・浅間神社、字小盛田の鷲神社、字大坂の浅間神社を合祀しています。

「千葉県神社名鑑」による墨六所神社の由緒

創祀年代は明らかでない。享保一九年の棟札は現本殿建築時のものである。(「千葉県神社名鑑」より)

「酒々井町史」による墨六所神社の由緒

六所神社
六所神社(村社)は墨字広畑にあり、墨の鎮守である。多くの祭神が祀られているが、明治四十二年に合祀された神社の祭神を、全部合わせたためと思われる。毎年七月十五日の祭礼には、県指定無形民俗文化財の獅子舞が奉納される。
大木の杉の森の中にあって、境内地には町指定の天然記念物「サラシナショウマ」の群生地がある。なおこの神社には鳥居がないが、酒々井町の神社で鳥居のないのは、八社神社、住吉神社、六所神社の三社である。
由緒
由緒詳かならず、古老の言い伝えによれば、御神体は奥州塩釜神社の御分体にて、相原文治郎と言える武士が守本尊として諸国遍歴中、たまたまこの郷にて死去せしかば、郷人その本尊を伝え以って祀れりという。神社保蔵の棟札に享保十九甲寅年九月二日建築とあり。但創立は迄に遠く上古の如し、古来より有名なる獅子舞は現今に伝わる(県神社庁台帳)。(「酒々井町史」より)

「印旛郡誌」による墨六所神社の由緒

村社六所神社
墨村字廣畑にあり天御中主命、伊弉諾命、伊弉丹命、大日孁貴命保食命經津主命武御名立命熊野久須毘命宇賀魂命木花開耶姫命、天日鷲命を祭る由緒不詳なれども明治四十一年十二月二十六日許可を得て墨字鏡下にありし無格社諏訪神社字馬場にありし無格社熊野神社二社字花ノ作にありし無格社粟主神社字淺間脇にありし無格社淺間神社字小盛田にありし無格社鷲神社字大坂にありし無格社淺間神社を合祀す神官は郡司秀綱にして氏子六十戸を有し管轄廳まで六里あり境内三社を祭る即
一、諏訪神社 武御名方命を祭る由緒不詳建物間口三尺奥行三尺
二、三峰神社 伊弉諾命伊弉冊命を祭る由緒不詳建物間口三尺奥行三尺
三、月讀命を祭る由緒不詳石宮なり(神社明細帳)(「印旛郡誌」より)


墨六所神社所蔵の文化財

  • 墨獅子舞(千葉県指定無形民俗文化財)

墨獅子舞

墨の獅子舞は、享保十九年(一七三四)墨村の鎮守六所神社の社殿を改築し、その遷宮式に奉納のため、出羽国羽黒山から師を招いて伝授をうけたのが始まりと伝えられている。五穀豊穣・雨乞いの祈願をかけて春秋二回、区内神社と区長宅で演舞されていたが、中絶の時代もあった。
大正十五年(一九二六)再開されてからは毎年七月十五日、六所神社と区長宅の二か所で演舞されるようになり現在まで続いている。
その演目は、「足揃え」・「芝獅子」・「剣の舞」・「猿獅子」の演目が伝承されている。獅子三、猿一、笛、大太鼓、小太鼓という構成である。
現在、墨獅子舞保存会を組織して演技伝承に努めている。(千葉県教育委員会・酒々井町教育委員会掲示より)

墨六所神社の周辺図