和泉山泉福寺|佐倉組十善講内郷組
泉福寺の概要
印旛郡酒々井町飯積にある真言宗豊山派寺院の泉福寺は、和泉山と号します。泉福寺の創建については不詳ながら、文化3年(1806)の開基と伝えられます。境内の石仏群は江戸時代初期から中期に造立されたものだそうです。境内大師堂は、佐倉組十善講内郷組札所67番と思われます。
山号 | 和泉山 |
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院号 | - |
寺号 | 泉福寺 |
住所 | 印旛郡酒々井町飯積259 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
泉福寺の縁起
泉福寺の創建については不詳ながら、文化3年(1806)の開基と伝えられます。境内の石仏群は江戸時代初期から中期に造立されたものだそうです。
「酒々井町史」による泉福寺の縁起
泉福寺
和泉山泉福寺は飯積宇西ノ前二五九にあり、真言宗豊山派東光寺の末寺である。阿弥陀如来を本尊としている。文化三年(一八〇六) の開基と伝えられている。山号、寺号ともに泉の文字がついているのは、泉に深いかかわりを持ったお寺であろうと思われる。飯積の地名も泉が転化したものかも知れない。飯積は古代文化の栄えたところで、区内の台地は埋蔵文化財の大散布地になっている。
江戸時代後期までは住職がおり、境内墓地には住職の墓がある。また文久元年(一八六一)の「佐倉藩日記」)に、泉福寺の住職が旅僧に衣類、袈裟、珠数などを盗まれて始末書を書いた記録があるので、この頃は住職がいたことがわかる。
長い間無住寺になっているが、現本堂は寺有山林の東関東自動車道用地買収費によって新築された。境内墓地には江戸初・中期の優れた石仏六〇余基が整理されている。(「酒々井町史」より)
「印旛郡誌」による泉福寺の縁起
泉福寺
飯積村字西ノ前にあり眞言宗にして東光寺末なり阿彌陀如来を本尊とす由緒不詳堂宇間口五間奥行三間境内百六十坪(官有地第四種)あり住職は酒井諦全にして檀徒百十二人を有し管轄廳まで六里なり境内佛堂一宇あり
一、大師堂 弘法大師を本尊とす由緒不詳建物間口三尺奥行一間(寺院明細帳)(「印旛郡誌」より)
泉福寺の周辺図
参考資料
- 「酒々井町史」
- 「印旛郡誌」