相持院|印旛郡酒々井町馬橋にある真言宗豊山派寺院

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相持院|佐倉組十善講内郷組

相持院の概要

印旛郡酒々井町馬橋にある真言宗豊山派寺院の相持院の創建年代等は不詳ながら、慶長9年(1604)の検地帳に記載されていたとされます。境内大師堂は、佐倉組十善講内郷組札所と思われます。

相持院
相持院の概要
山号 -
院号 相持院
寺号 -
住所 印旛郡酒々井町馬橋124-1
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 -



相持院の縁起

相持院の創建年代等は不詳ながら、慶長9年(1604)の検地帳に記載されていたとされます。

「酒々井町史」による相持院の縁起

相持院
相持院は馬橋字西口一二四にある。真言宗豊山派東光寺の末寺で、本尊は大日如来である。この寺も無住のため、由緒は知られていないが、江戸時代には住職がいた。寛延三年(一七五〇)四月の『佐倉藩年寄部屋日記』には次のように記されている。
一田村恒右衛門(佐倉藩士)申達、馬橋村真言宗相持院無住ニ付、新中沢村見性院隠居了忍、惣且中相談上、後住奉願候、本寺東光寺江申達候処、任共意候様被申付候由、右両寺名主、組頭、惣旦中同様ニ願書指出、願之遇被申付候及挨拶候
この日記は、無住寺となった相持院の檀家が相談して、同じ東光寺の末寺である新中沢(富里町)の見星院の隠居を住持として迎えるため、佐倉藩に届けを出し承認された記録である。相持院は子安、菅原二氏が主なる檀家の小さな寺であったため、無住となりがちであったと思われる。(「酒々井町史」より)

「印旛郡誌」による相持院の縁起

相持院
馬橋村字西口にあり眞言宗にして東光寺末なり大日如来を本尊とす由緒不詳堂宇間口四間半奥行三間半境内百十八坪(官有地第四種)あり住職は酒井諦全にして檀徒十人を有し管轄廳まで五里三十間なり境内佛堂一宇あり即
一、大師堂 弘勒佛を本尊とす由緒不詳建物は間口一間三尺奥行四尺なり(寺院明細帳)(「印旛郡誌」より)


相持院の周辺図


参考資料

  • 「酒々井町史」
  • 「印旛郡誌」