円福院|印旛郡酒々井町酒々井にある真言宗智山派寺院

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酒々井山円福院|佐倉組十善講内郷組

円福院の概要

印旛郡酒々井町酒々井にある真言宗智山派寺院の円福院は、酒々井山神宮寺と号します。円福院の創建年代等は不詳ながら、残されている下総板碑、武蔵板碑等から中世の創建と推定されています。「酒の井」「酒の井碑」がある寺として知られ、江戸期には下宿の麻賀多神社の別当を勤めていました。現在も宗教法人として登記されていますが、寺院としては僅かに板碑や石仏が残されているばかりです。

円福院
円福院の概要
山号 酒々井山
院号 円福院
寺号 神宮寺
住所 印旛郡酒々井町酒々井137-1
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



円福院の縁起

円福院の創建年代等は不詳ながら、残されている下総板碑、武蔵板碑等から中世の創建と推定されています。「酒の井」「酒の井碑」がある寺として知られ、江戸期には下宿の麻賀多神社の別当を勤めていました。現在も宗教法人として登記されていますが、寺院としては僅かに板碑や石仏が残されているばかりです。

「酒々井町史」による円福院の縁起

円福院
酒々井山円福院は酒々井字馬場一三七にある。神宮寺という寺号ももち三号揃った寺院である。真言宗智山派吉祥寺の末寺で、本尊は「宗教法人台帳」によれば阿弥陀如来、明治三年の「吉祥寺寺籍取調帳」によれば大日如来となっている。
酒の井
円福院は酒々井の地名の起源となったという孝子伝説「酒の井」跡のある寺として知られている。境内に高さ一メートル、幅六〇センチメートルの下総板碑がたつているが、この碑が「酒の井」の碑であると伝えられている。碑面は蓮花台座に梵字キリークが刻まれている。享保十三年(一七二八)の「寺社幷社堂舗地書上帳」に
一境内ニ酒井壱ケ所立石ニ文字切付ケ有之候
とあるので、古くからこの板碑が、「酒の井」伝説の石とされていたことになる。
開基、その他の由緒などは伝わっていないが、下総板碑、武蔵板碑(欠損品)などがあることから中世の創建と思われる。『印旛郡誌』によると、「堂宇間口六間半、奥行六間、境内四百五十二坪、檀徒九人」とあるから、広い境内とお堂があったことがわかる。このお堂は佐倉牧捕馬の際は、江戸の野馬役人の宿舎にされていた。
神仏混交時代には下宿の麻賀多神社を支配していたが、円福院の壇家が少ないためか無住の時が多かったようである。寛政七年(一七九五)、麻賀多神社の修理の際は本寺の吉祥寺も無住であったために、大佐倉の宝殊院の住持が見分立会に来たことになっている。(「酒々井町史」より)

「印旛郡誌」による円福院の縁起

圓福院
酒々井村字馬場に在り眞言宗にして吉祥寺末なり阿彌陀如来を本尊とす由緒不詳堂宇間口六間半奥行六間境内四百五十二坪(官有地第四種)あり住職は櫻井宥順にして檀徒九人管轄廳まで五里二十二町半あり境内佛堂一宇あり即
一、大師堂 弘法大師を本尊とす由緒不詳建物間口一間奥行一間(寺院明細帳)(「印旛郡誌」より)


円福院の周辺図


参考資料

  • 「酒々井町史」
  • 「印旛郡誌」