勝蔵院|印旛郡酒々井町酒々井にある真言宗智山派寺院

猫の足あとによる千葉県寺社案内

處寶山勝蔵院|佐倉組十善講内郷組

勝蔵院の概要

印旛郡酒々井町酒々井にある真言宗智山派寺院の勝蔵院は、處寶山と号します。勝蔵院の創建年代等は不詳ながら、東台の不動山に不動堂として創建、佐倉城主戸田山城守忠昌夫人の病に際して、当不動尊に祈願すれば平癒するとの霊夢により、当地へ移転し祈願したところ全快したことから、戸田山城守忠昌の帰依を受けて諸堂を建立、広大な敷地を擁していたといいます。境内大師堂は、佐倉組十善講内郷組札所と思われます。

勝蔵院
勝蔵院の概要
山号 處寶山
院号 勝蔵院
寺号 -
住所 印旛郡酒々井町酒々井127-1
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



勝蔵院の縁起

勝蔵院の創建年代等は不詳ながら、東台の不動山に不動堂として創建、佐倉城主戸田山城守忠昌夫人の病に際して、当不動尊に祈願すれば平癒するとの霊夢により、当地へ移転し祈願したところ全快したことから、戸田山城守忠昌の帰依を受けて諸堂を建立、広大な敷地を擁していたといいます。

「酒々井町史」による勝蔵院の縁起

處宝山勝蔵院は酒々井字馬場一二七にあり、古文書によると長現寺という寺号もあった。江戸時代には本佐倉字五良にあった文殊寺の末寺であったが、文殊寺の廃絶にともなって現在は真言宗智山派吉祥寺の末寺となっている。本尊は不動明王である。神仏混淆時代は酒々井上宿の八坂神社も支配していた。
江戸時代酒々井宿の繁栄は、この勝蔵院が中心であったといわれている。佐倉牧の野馬捕りの際は、野馬奉行綿貫夏右衛門の宿舎とされるのが慣例であった。昔は境内も広く、現青年研修所、中央保育所も勝蔵院の境内地であった。又、桜の樹も多く、通称桜山とよばれる名所であった。
由緒
勝蔵院の創建については詳らかでないが、『印旗郡誌』によると、元は東台(現中央台三丁目) の不動山にあった。元禄年中(一六八八~一七〇四)佐倉城主戸田山城守忠昌の夫人が難病にかかった時、酒々井不動尊に祈願すれば必ず癒るとの霊夢によって、そのころ東台にあったささやかな不動堂を訪ねあて、馬場の地に移し、一七日間祈願したらたちまち平癒した。よって戸田山城守忠昌の深い帰依を受け、現在地に不動堂、庫裏、鐘楼堂、仁王門などが寄進されたとある。
また「勝蔵院不動堂建立覚」(深山武男家文書)によると、不動堂の建立は佐倉城主戸田能登守忠真(忠昌の子)によって、元禄十二年(一六九九)十一月着工、十二月入仏。大工は六ツ崎村助之丞であったととなどが詳細に記されている。(文面省略)
「深山家文書」では戸田能登守忠真、『印藤郡誌』では戸田山城守忠昌の寄進となっているが、忠昌は元禄十二年に世を去り、その子の忠真が世襲している。勝蔵院の建立は元禄十二年末から翌年の春であるので、深山家文書が正しいと思われる。戸田氏が七万石で佐倉城主に封ぜられたのは貞享三年(一六八六)で在任一五年、元禄十四年には越後高田に転封となった。勝蔵院竣工の翌年である。
戸田忠真が祈りをこめて筆をとった額は今も本堂の正面軒下に掲げられている。お姫様の『忠信孝弟』の額は内陣に掲けられたものと思われるが、今は見当たらない。
勝蔵院本堂、本尊不動明王はともに町指定文化財となっている。不動さまは地元の人達によると成田の姉不動であるとの伝承をもっているが、その根拠はわからない。なお『古今佐倉真佐子』には不動像彫刻にまつわる面白い話がのっている。
不動明王像にまつわる話
真言宗正(勝)蔵院、不動別当也。四間四方ぐらいのくずやの堂。坐像の不動新仏なり。左右こんがら、せいたかある。三体共さいしき。不動御長け七尺斗。脇立三尺余有。しこくの大不動也。堂の内、つゝ類敷(ちらす)くらいに一ぱいある也。前こまたん。此不動先年江戸において刻節。甲州よりしんげん(信玄)の像同所にて刻。其節御ぐし(首)を取違、しんげんのあたまを不動へ仕付、不動のあたまをしんげんの像へしつけたるよし、しんげんの髪の毛をうへ、そのうえをぬりたるよし也。こんせう(紺青)にて塗てあれとも、扨々こはきめんぞうにて、左もありつべき事也。夫よりよく見ると、不動のかほとは余程遠いたるよし、頭はこふこふたちて柿色に塗てある。此不動、成田不動人皆しんじんする故、此不動へさんけいを引つけんが為に、堀田上野殿こんりうのよし。しかし参詣なし。門内左の方しゆろう(鐘楼)ある。よ程と念を入たる趣也。客殿の庭よりみまや辺一めんに見通し、将門山なども見えてよきけいち也。(【古今佐倉真佐子】佐倉教育委員会復刻版)(「酒々井町史」より)

「印旛郡誌」による勝蔵院の縁起

勝蔵院
酒々井町字馬場に在り眞言宗にして吉祥寺末なり本尊を不動尊(作者法橋弘回とあり)とす元禄十二年己卯十二月二十四日戸田能登守藤原忠眞建之堂宇間口五間半奥行四間境内三百七十七坪(官有地第四種)あり住職は櫻井宥順にして檀徒四人を有し管轄廳まで五里二十二町とす境内佛堂一宇あり即
一、大師堂 弘法大師を本尊とす由緒不詳建物間口九尺奥行六尺また境内庵室一宇あり(寺院明細帳)(「印旛郡誌」より)


勝蔵院の周辺図


参考資料

  • 「酒々井町史」
  • 「印旛郡誌」