宝喜作子神神社|八千代市村上の神社
宝喜作子神神社の概要
宝喜作子神神社は、八千代市村上にある神社です。宝喜作子神神社の創建年代等は不詳ながら、正東院という真言宗寺院がかつてあった(寛政7年1795年『寺院本末帳 五十六 新義真言十五』に所載)ものの廃寺となり、その跡地に建立されたといいます。明治維新後の社格制定に際し無格社とされ、戦後の宗教法人法に伴う登記はされていません。
社号 | 子神神社 |
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祭神 | 大己貴命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
例祭日 | - |
住所 | 八千代市村上750 |
備考 | - |
宝喜作子神神社の由緒
宝喜作子神神社の創建年代等は不詳ながら、正東院という真言宗寺院がかつてあった(寛政7年1795年『寺院本末帳 五十六 新義真言十五』に所載)ものの廃寺となり、その跡地に建立されたといいます。明治維新後の社格制定に際し無格社とされ、戦後の宗教法人法に伴う登記はされていません。
パンフレット「八千代の歴史遺産散歩」による宝喜作子神神社の由緒
「正東院」跡に建てられた神社で、地元の宝喜作11軒によるオビシャが行われる。(パンフレット「八千代の歴史遺産散歩」より)
「八千代市史」による宝喜作子神神社の由緒
子大神
村上村宇宝喜作台に所在。祭神は大己貴命。『県神明細』には「一由緒 不詳」とある。
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正東院
新義真言宗。村上村に所在。『新義十五』に正覚院の門徒寺として載せられている。三宝院-千手院-正覚院-正東院という上下関係であった。前記村明細帳によれば、境内は一畝二九歩で、年貢免除の畑を二畝一〇歩有していた。(「八千代市史」より)
「印旛郡誌」による宝喜作子神神社の由緒
子大神
無格社
村上區字寶喜作台
大己貴命
由緒不詳
社殿間數間口一間奥行四尺
境内坪數三〇坪(共有地)(「印旛郡誌」より)
宝喜作子神神社の周辺図
参考資料
- 「八千代市史」
- 「印旛郡誌」