高秀霊神社|八千代市高津の神社
高秀霊神社の概要
高秀霊神社は、八千代市高津にある神社です。高秀霊神社は、高津の領主旗本間宮氏6代目間宮方好が、江戸幕府の許可を得て、大坂夏の陣で真田幸村と戦い戦死した旗本間宮氏2代目間宮庄五郎源高秀を祀り創建したといいます。昭和26年高津比咩神社と合併、高津比咩神社の飛地境内となっています。
社号 | 高秀霊神社 |
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祭神 | 間宮庄五郎源高秀 |
相殿 | - |
境内社 | - |
例祭日 | - |
住所 | 八千代市高津1352 |
備考 | - |
高秀霊神社の由緒
高秀霊神社は、高津の領主旗本間宮氏6代目間宮方好が、江戸幕府の許可を得て、大坂夏の陣で真田幸村と戦い戦死した旗本間宮氏2代目間宮庄五郎源高秀を祀り創建したといいます。昭和26年高津比咩神社と合併、高津比咩神社の飛地境内となっています。
「八千代市史」による高秀霊神社の由緒
高秀霊神社
高津村字部田に所在。祭神は間宮庄五郎源高秀(『県神明細』)。江戸時代に当地を知行した旗本間宮氏の二代目である間宮正秀を六代目の方好が元禄八年(一六九五)に、将軍綱吉の許可を得て祀ったものである。正秀は大坂夏の陣に参戦して真田幸村軍との戦闘で戦死し、遺骨は当地の観音寺に埋葬された。なぜ、正秀が神として祀られたかというと、正秀の戦死は「忠死」であり、子孫にとっては誇るべき先祖であったからである。正秀の二百年忌には十代目の士信が盛大な法事・祭礼を当地で行っている。(「八千代市史」より)
高秀霊神社の周辺図
参考資料
- 「八千代市史」
- 「千葉県神社名鑑」
- 「千葉縣千葉郡誌」