高津比咩神社|八千代市高津の神社
高津比咩神社の概要
高津比咩神社は、八千代市高津にある神社です。高津比咩神社は、明応元年(1492)9月に創建、明治維新後の社格制定に際し村社に列格していました。昭和26年に子ノ神社・浅間神社・妙見神社・高秀霊神社を合併、飛地境内の社としています。毎年1月20日に奉納される「高津のハツカビシャ」は八千代市文化財に指定されています。二宮神社の「下総三山の七年祭り」に参列している社です。
社号 | 高津比咩神社 |
---|---|
祭神 | 多岐都比賣命、大己貴尊、木花開耶姫命、北斗北辰、間宮庄五郎源高秀 |
相殿 | - |
境内社 | 八坂神社二社、金刀比羅神社、稲荷神社 |
例祭日 | 10月9日 |
住所 | 八千代市高津294 |
備考 | - |
高津比咩神社の由緒
高津比咩神社は、明応元年(1492)9月に創建、明治維新後の社格制定に際し村社に列格していました。社号の「高津比咩」は、藤原時平の息女とされ、二宮神社の「下総三山の七年祭り」に「娘」役として参列します。昭和26年に子ノ神社・浅間神社・妙見神社・高秀霊神社を合併、飛地境内の社としています。
「八千代市史」による高津比咩神社の由緒
高津比咩神社
高津村字宮ノ前に所在。祭神は多岐都比賣命。『県神明細』には「一由緒 明応元壬子年九月創立」とし、境内社として八坂神社(祭神素戔嗚尊)・金刀比羅神社(祭神金山彦命)・稲荷神社(祭神保食命)を載せている。(「八千代市史」より)
「千葉県神社名鑑」による高津比咩神社の由緒
由緒に関する記載なし(「千葉県神社名鑑」より)
「千葉縣千葉郡誌」による高津比咩神社の由緒
高津比咩神社
大和田町高津に鎮座す。祭神は多岐都比賣命なり。明應元年九月創立。社殿は間口四尺奥行四尺。拝殿(間口三間奥行二間)あり。境内は三百九十九坪にして、境内に三社あり。八坂神社、金刀比羅神社稲荷神社あり。祭日は十月九日なり。(「千葉縣千葉郡誌」より)
高津比咩神社所蔵の文化財
- 高津のハツカビシャ(八千代市指定文化財)
高津のハツカビシャ
高津比咩神社のオビシャは毎年一月二十日に行われることからハツカビシャと呼ばれ、「※」と描いた的に弓を射る神事です。
ここ高津では、前日に的・弓・矢を宮世話人が作り準備します。的には「※」と描き甲乙ナシ(ム)と語り継がれて、豊作でも凶作でもなく中くらいが良いとされています。的の文字は鬼に似ていますが、ハッキリとした伝承がないので鬼とは断定は出来ません。
弓で十三本の矢を射ますが、以前は十二本であったと言われています。
弓を射た後は、「オトウウケトリ」が行われ、今年の当番から翌年の当番へオトウ(御神体)が渡され、大事に持ち帰り神棚に安置し、一年間お守りすることになります。
その後、場所を移して直会と続きます。入れ替わりに念仏講の女性たちによって「オビシャの花見」が謡われます。(八千代市教育委員会掲示より)
高津比咩神社の周辺図
参考資料
- 「八千代市史」
- 「千葉県神社名鑑」
- 「千葉縣千葉郡誌」