米本稲荷神社|八千代市指定有形文化財の本殿
米本稲荷神社の概要
米本稲荷神社は、八千代市米本にある神社です。米本稲荷神社は、享保年間(1716-1736)の創建とされ、寛政11年(1799)に紀伊稲荷本宮より「正一位稲荷大明神」として認められたといいます。米本稲荷神社本殿は彫刻が随所に施され、八千代市有形文化財に指定されています。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 倉稲魂命、保食命、大己貴命、太田命、大宮姫命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
例祭日 | 10月9日 |
住所 | 八千代市米本2424 |
備考 | - |
米本稲荷神社の由緒
米本稲荷神社は、享保年間(1716-1736)の創建とされ、寛政11年(1799)に紀伊稲荷本宮より「正一位稲荷大明神」として認められたといいます。
「八千代市史」による米本稲荷神社の由緒
稲荷神社
米本村字大山に所在。祭神は稲蒼魂命・太田命・保食命・大己貴命・大宮姫命。『県神明細』には「一由緒 寛政十一年城州紀伊郡稲荷本宮祠官正四位下行佐渡守秦親益正一位稲荷大明神安鎮候事」とある。(「八千代市史」より)
「千葉県神社名鑑」による米本稲荷神社の由緒
由緒に関する記載なし(「千葉県神社名鑑」より)
「印旛郡誌」による米本稲荷神社の由緒
無格社稲荷神社
米本區字大山にあり稲蒼魂命太田命保食命大己貴命大宮姫命を祭る寛政十一年城州紀伊郡稲荷本宮祠官正四位下行佐渡泰親益正一位稲荷大明神安置候社殿間口六尺奥行六尺拝殿間口三間奥行二間半境内七十八坪(官有地第一種)あり山本吉蔵社務を掌り管轄廳まで五里なり(神社明細帳)(「印旛郡誌」より)
米本稲荷神社所蔵の文化財
- 米本稲荷神社本殿附鳥居・再建寄付連名碑・手洗い鉢(八千代市指定有形文化財)
米本稲荷神社本殿
本殿の構造は桁行一間、梁間一間の一間社流造りです。屋根は現在銅板で葺かれていますが、以前は茅葺きだったそうで、全体は総ケヤキ造りです。鳥居は明治二十二年(一八八九)に伊勢講参拝記念として建設されています。当時は木造でしたが、戦後コンクリートに建て替えられました。しかし、基礎である根巻はそのままで、石工が鷺沼の広瀬音五郎であることがわかります。また手洗い鉢は慶応四年に作られています。再建寄付連名碑は現存する本殿が再建された時のものと考えられ、再建時に佐倉市や船橋市、印西市など広範囲に寄付を仰いでおり、当時の稲荷神社の信仰の広さをうかがわせます。
稲荷神社の創建の伝承は伝わっていません。明治期に書かれた資料によると享保年間(一七一六~三六)とされておりますが、確かなことはわかりません。しかし、これらの資料から少なくとも江戸時代中頃迄には創建されていたと推定されます。その後、寛政期(一七八九~一八〇〇)と慶応期(一八六五~六七)の二度にわたって再建されたようです。慶応期の再建は安政二年(一八五五)の江戸大地震により倒壊したためと推定されます。しかし、再建が十分ではなかったためか、しばらくすると壊れはじめ明治二十七年(一八九四)に再び建て替えられました。
本殿の特徴は随所に見られる彫刻の数々でしょう。まず目につくのは庇柱に肉厚に浮き彫りされた昇り竜と下り竜です。このように庇柱に竜が彫られているのは市内では他に見当たりません。近隣では佐倉市の鷲神社本殿・印旛村宗像神社本殿また白井町鳥見神社本殿など何件か確認されています。さらに、向拝と庇をつなぐ海老虹梁のわずかな隙間や両側の壁、背面、階段の脇など所狭しと彫られています。題材は波や亀等の自然を表現しているもの、馬、牛等の家畜。天神像など信仰心を表現するもの、収穫物を箕で振るっている姿やクルリ棒で収穫物を叩いている姿。また子供たちがダルマを転がしたり、獅子舞に追いかけられたりしている姿など多様です。これらの彫刻は日々の労働の厳しさのなかにもおだやかな美しさが伝わる風景です。(八千代市教育委員会掲示より)
米本稲荷神社の周辺図
参考資料
- 「八千代市史」
- 「千葉県神社名鑑」
- 「印旛郡誌」