米本神社|八千代市米本の神社

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米本神社|旧妙光院妙見堂

米本神社の概要

米本神社は、八千代市米本にある神社です。米本神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には真言宗妙光院の妙見堂として建立・祀られていたといいます。明治維新後妙光院は廃寺となり、妙見堂を米本神社と改めて創祀、明治44年上宿北の白籏神社を当社境内へ遷しています。また、当社所蔵の天保七年依米本村絵図は、米本村の名主定右衛門らが天保7年(1836)正月に作成したもので、八千代市文化財に指定されています。

米本神社
米本神社の概要
社号 米本神社
祭神 天御中主尊
相殿 -
境内社 疱瘡神社、天満天神、三峯神社、道祖神、金刀比羅神社、白籏神社
例祭日 10月9日
住所 八千代市米本1641
備考 -



米本神社の由緒

米本神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には真言宗妙光院の妙見堂として建立・祀られていたといいます。明治維新後妙光院は廃寺となり、妙見堂を米本神社と改めて創祀、明治44年上宿北の白籏神社を当社境内へ遷しています。

「八千代市史」による米本神社の由緒

妙見尊
米本村宇内宿並に所在。祭神は天御中主命。『県神明細』には「一由緒 旧来妙見尊ト称来候処去ル辰年中米本神社改称申候」とある。慶応四年(明治元年)に米本神社に改称したというのである。また同書には境内社として疱瘡神社(祭神大己貴命)・天満天神(祭神菅相丞)・厳島神社(祭神市杵島姫命)・三峯神社(祭神伊弉冉命)・道祖神(祭神猿田彦命)・金刀比羅神社(祭神安徳天皇)を載せ、明治四十四年に字上宿東の白旗神社(祭神応神天皇)を合祀したと記す。
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妙光院
新義真言宗。米本村に所在。『新義十五』に千手院の前記門徒寺として載せられている。前記明細帳に境内は東西二間半・南北一二間と寺付きの畑九畝九歩が除地とあり、境内に妙見堂があるほか、村内の観音堂と天神宮の別当であると記している。なお、妙見堂は現在の米本神社である。
(「八千代市史」より)

「千葉県神社名鑑」による米本神社の由緒

由緒に関する記載なし(「千葉県神社名鑑」より)

「印旛郡誌」による米本神社の由緒

村社米本神社
米本區字宿北にあり天御中主命及び應神天皇を祭る舊来妙見尊と稱し来候處明治元年辰中米本神社と改稱申候毎年十月九日例祭ヲ行ふ明治四十四年六月十二日許可を得て仝所字上宿北にありし神社白籏神社を本社に合祀す社殿間口二間四尺奥行二間一尺境内四百に十四坪(官有地第一種)あり山本吉蔵社掌を拝命し氏子百五十戸を有す管轄廳まで五里あり境内神社六社あり即
一、疱瘡神社 大己貴命を祭る由緒不詳石祠なり
二、天満天神 菅相丞を祭る由緒不詳石祠なり
三、嚴島大神 市杵島姫命を祭る由緒不詳石祠なり
四、三峯神社 伊弉冊命を祭る由緒不詳建物間口四尺奥行三尺
五、道祖神 猿田彦命を祭る由緒不詳建物間口四尺奥行三尺
六、金刀比羅神社 安徳天皇を祭る由緒不詳建物間口五尺奥行三尺五寸なり(神社明細帳)(「印旛郡誌」より)


米本神社所蔵の文化財

  • 天保七年依米本村絵図(八千代市指定文化財)

天保七年米本村絵図

この村絵図は、江戸時代の天保七年(一八三六)正月に米本村の名主定右衛門らが作成したものです。大きさは五十四センチX七十四センチで、現在の米本地区の様子が描かれています。
村絵図をみると、山・道・田・畑・芝野・新川を六色に色分けしてわかりやすくしています。また、城橋から下宿にかけての道沿いと逆水に家並み、上宿の辻(現阿蘇郵便局向)に高札場、下宿から逆水へ向かう道の西側に佐倉藩直轄の御林が描かれています。
川は新川で、城橋と平戸橋が架かっています。新川と呼ばれるようになったのは、天明期(一七ニ一~二八)に実施された印旛沼発掘工事の頃からと思われます。
現在、絵図は八千代市立郷土博物館に保管されています。(八千代市教育委員会掲示より)

米本神社の周辺図


参考資料

  • 「八千代市史」
  • 「千葉県神社名鑑」
  • 「印旛郡誌」