玉蔵院|千葉寺十善講八十八ヶ所霊場
玉蔵院の概要
八千代市米本にある真言宗豊山派寺院の玉蔵院は、玉位山と号します。玉蔵院の開山・開基は不詳ながら、慶長7年(1602)の検地帳に千手院の門徒寺として記載されているといいます。下総式板碑は、神野新山(北の台)比丘尼塚にあった籠り堂に祀られていたもので、八千代市有形民俗文化財に指定されています。境内の大師堂は千葉寺十善講八十八ヶ所霊場53番です。
山号 | 玉位山 |
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院号 | 玉蔵院 |
寺号 | - |
住所 | 八千代市米本744 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
玉蔵院の縁起
玉蔵院の開山・開基は不詳ながら、慶長7年(1602)の検地帳に千手院の門徒寺として記載されているといいます。
「八千代市史」による玉蔵院の縁起
玉蔵院
新義真言宗。神野村字宮下に所在。「新義十五』に千手院の門徒寺として載せられている。慶長七年(一六〇二)の検地帳に名が見えるので、近世初期には既に存在していた寺院である。(「八千代市史」より)
「印旛郡誌」による玉蔵院の縁起
玉蔵院
神野區字宮下にあり本寺千手院末にして眞言宗新義派に屬す本尊阿彌陀如来を安置す由緒不詳堂宇間口七間奥行五間境内二百九十九坪(民有地第一種)あり福山宥清住職にして檀徒四十四人管轄廳まで五里十七町四十三間なり境内佛堂一宇あり即
一、大師堂 本尊弘法大師にして安永二年八月惡疫除として創立せるものなり建物間口四尺奥行一間なり(寺院明細帳)(「印旛郡誌」より)
玉蔵院所蔵の文化財
- 下総式板碑(八千代市指定有形民俗文化財)
下総式板碑
市内で最大かつ典型的な下総式板碑です。大きさは、高さ一六〇センチ、幅一三〇センチ、厚さ二〇センチの雲母片岩製です。元は神野新山(北の台)のビクニン(比丘尼)塚にあり、籠り堂のオビク様の石として祀られていました。明治末期に熊野神社下へ、さらに昭和五十年に現在地に移されました。表面の三分の二は損傷がはげしく、上部に残されている梵字の一部から、荘厳体(装飾的な字体)のアーンク(胎蔵界大日如来)が彫られていたと思われ、下部には百名以上の戒名がみえます。年号は判明しませんが、下総式板碑所在地の西限の一端を示す板碑の一つです。(八千代市教育委員会掲示より)
玉蔵院の周辺図
参考資料
- 「八千代市史」
- 「印旛郡誌」