長福寺|吉橋大師八十八所霊場
長福寺の概要
八千代市萓田にある真言宗豊山派寺院の長福寺は、萱田山と号します。長福寺は、長享元年(1487)に創建、元和2年(1616)に再建したといいます。「千葉郡誌」では延宝3年(1675)に花島七兵衛が建立したと記しています。八千代八福神の寿老人、境内大師堂は吉橋大師八十八所霊場21番、その前身の下総四郡八十八所霊場21番です。
山号 | 萱田山 |
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院号 | - |
寺号 | 長福寺 |
住所 | 八千代市萓田1427 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
長福寺の縁起
長福寺は、長享元年(1487)に創建、元和2年(1616)に再建したといいます。「千葉郡誌」では延宝3年(1675)に花島七兵衛が建立したと記しています。八千代八福神の寿老人、境内大師堂は吉橋大師八十八所霊場21番です。
境内掲示による長福寺の縁起
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萱田 長福寺(八千代八福神-寿老人)
萱田の赤寺として親しまれているこの寺は、朱色の山門とその脇の六地蔵が訪れる人を迎えてくれる。
長福寺は長享元年(一四八七)に創建されたが火災により焼失、元和二年(一六一六)に再建された。参道正面に本堂があり、左側に大師堂がある。寿老人(中国の長寿の神)は本堂脇に安置され、台座の上から人々を見守っている。(八千代花と緑の基金・八千代市掲示より)
「八千代市史」による長福寺の縁起
長福寺
新義真言宗。萱田村字寺ノ台に所在。『新義十五』に貞福寺の門徒寺として載せられている。『県堂明細』に字権現後の観音堂・字堂後の阿弥陀堂・字堂後の大日堂・宇牛喰の薬師堂と観音堂はいずれも「長福寺持」と記されている。(「八千代市史」より)
「千葉縣千葉郡誌」による長福寺の縁起
長福寺
大和田町萱田寺の臺にあり吉橋村貞福寺の末寺にして本尊阿彌陀如来を安置し、萱田山と號す。延寶三年九月二十六日施主當村花島七兵衛建立。堂宇間口八間奥行五間三尺、境内四百八十四坪あり、境内佛堂一宇觀音堂あり、境外所有地二町三反八歩。(「千葉縣千葉郡誌」より)
長福寺所蔵の文化財
- 石造二十三夜・日記念仏塔(層塔)
石造二十三夜・日記念仏塔(層塔)
二十三夜講並びに日記念仏の満願成就に当たり寛文九(一六六九)年に造立された供養塔です。三重塔状に笠を重ねた層塔で、最上部には後補と考えられ、一回り小さい笠と別材と思われる宝珠部を載せます。全体に簡素ながら大振りで力強い造りは、この時期の特徴をよく表しています。
初層の正面には方形龕があり、右側面には月形の刳貫きと女性名が、左側面には日形の刳貫きと男性名が刻まれています。第二層の正面には二十三夜講の本尊である勢至菩薩坐像が半肉彫りされ、左右の側面には銘文が刻まれています。
月待り講塔の一つである二十三夜塔は、市内では約六十基が確認されています。日記念仏は月毎に特定の日を決めて行う念仏で、通常、講毎に供養塔を建立することから、二つの講が合同で供養塔を建てる珍しい例で、念仏塔としても二十三夜塔としても吉橋尾崎にある寛文八(一六六八)年のものに次ぐ早い時期に建てられたものです。(八千代市教育委員会掲示より)
長福寺の周辺図
参考資料
- 「八千代市史」
- 「千葉縣千葉郡誌」