東福院|吉橋大師八十八所霊場
東福院の概要
八千代市麦丸にある真言宗豊山派寺院の東福院は、醫眼山と号します。東福院の創建年代等は不詳ながら、千葉郡誌では慶純が慶長2年(1597)9月に中興開山、境内石碑では貞福寺住職長慶が宝暦3年(1753)に開基したとしています。境内の大師堂は吉橋大師八十八所霊場22番、(薬師堂分)50番、その前身の下総四郡八十八所霊場22番です。
山号 | 醫眼山 |
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院号 | 東福院 |
寺号 | - |
住所 | 八千代市麦丸1299 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
東福院の縁起
東福院の創建年代等は不詳ながら、千葉郡誌では慶純が慶長2年(1597)9月に中興開山、境内石碑では貞福寺住職長慶が宝暦3年(1753)に開基したとしています。
境内石碑による東福院の縁起
醫眼山東福院は、宝暦三年約二百五十年前吉橋の貞福寺住職長慶により開基され仮堂宇なりしが弘法大師一千百五十年の御遠忌の意義ある年に法恩謝徳の記念事業として荘厳なる新堂宇が建設され落慶す。
昭和五十九年四月六日(境内石碑より)
「八千代市史」による東福院の縁起
東福院
新義真言宗。麦丸村字本郷に所在。『新義十五』に貞福寺の末寺として載せられている。(「八千代市史」より)
「千葉縣千葉郡誌」による東福院の縁起
東福院
貞福寺末にして睦村字麦丸にあり。正觀音を安置し、創立不詳、慶長二年九月中奐開山法流慶純より始まり、當住職まで三十一代世存せり。堂宇間口六間半奥行四間半、境内六百二十三坪あり、境内に薬師堂あり。寺所有地二町七反八畝一歩、檀徒三百六十一人あり。(「千葉縣千葉郡誌」より)
東福院の周辺図
参考資料
- 「八千代市史」
- 「千葉縣千葉郡誌」