宝喜作不動堂|吉橋大師八十八所霊場
宝喜作不動堂の概要
真言宗豊山派寺院の宝喜作不動堂は八千代市村上にある不動堂です。宝喜作不動堂の創建年代等は不詳ながら、当地の入定窟跡上に祀られている、胎蔵界大日如来が宝永7年(1710)のものであることから、江戸時代中期には堂庵として成立していたものと思われます。境内には吉橋大師八十八所霊場72番大師堂が奉安されています。
山号 | - |
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院号 | - |
寺号 | - |
住所 | 八千代市村上・宝喜作集会所 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
宝喜作不動堂の縁起
宝喜作不動堂の創建年代等は不詳ながら、当地の入定窟跡上に祀られている、胎蔵界大日如来が宝永7年(1710)のものであることから、江戸時代中期には堂庵として成立していたものと思われます。境内には吉橋大師八十八所霊場72番大師堂が奉安されています。
「印旛郡誌」による宝喜作不動堂の縁起
不動堂
村上區字寶喜作臺にあり眞言宗にして千手院末なり不動尊を本尊とす由緒不詳堂宇間口二間奥行二間境内七十五坪(民有地)あり千手院住職渡邊阿力堂務を兼ね檀徒八人にして管轄廳まで四里十八町なり(佛堂明細帳)(「印旛郡誌」より)
パンフレット「八千代市の歴史散歩」による宝喜作不動堂の縁起
倉庫風の不動堂の堂内には不動明王三尊像が祀られ、堂の前に吉橋大師堂72番札所、二十六夜月待塔(宝永5年1708)や無縁塔などが並んでいる。不動堂の左側斜面上に眞桑一空という僧が即身成仏を願い入定した石窟の跡があり、その上に宝永7年(1710)の胎蔵界大日如来像が祀られている。(パンフレット「八千代市の歴史散歩」より)
宝喜作不動堂の周辺図
参考資料
- 「八千代市史」
- 「印旛郡誌」