施薬山東福院|当地堂ケ島を開拓した秀円僧都が創建、南葛八十八ヶ所霊場
東福院の概要
真言宗豊山派寺院の東福院は、施薬山医王寺と号します。東福院は、秀円僧都が寛永8年(1631)当地に創建、僧都は当地で荒地を開発し「堂ケ島」と名づけたといいます。南葛八十八ヶ所霊場87番です。
山号 | 施薬山 |
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院号 | 東福院 |
寺号 | 医王寺 |
住所 | 江戸川区松島3-38-18 |
本尊 | 薬師如来像 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 南葛八十八ヶ所霊場87番 |
東福院の縁起
東福院は、秀円僧都が寛永8年(1631)当地に創建、僧都は当地で荒地を開発し「堂ケ島」と名づけたといいます。
江戸川区教育委員会掲示による東福院の縁起
寛永8年(1631)、大和の人秀円僧都が大西氏を従え東国巡錫のとき西小松川に至り、宇田川、関口、宮の各氏に迎えられて建立したのがはじまりと伝えられています。真言宗豊山派、施薬山医王寺と号し、本尊には秘仏の薬師如来をまつっています。(江戸川区教育委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による東福院の縁起
(西小松川村)東福院
新義真言宗上小松村正福寺末施薬山ト号ス。
本尊薬師並ニ二菩薩ヲ安ス。ともに春日ノ作秘佛ナリ。(新編武蔵風土記稿より)
新編武蔵風土記稿による東福院の縁起
東福院(松島三丁目三八番一八号)
真言宗豊山派で施薬山医王寺と号し、西小松川の光福寺末であった。開祖は秀円僧都で寛永八年(一六三一)の草創といわれ、本尊に薬師如来をまつる。寺伝によると秀円僧都は大和国の人で、秘仏の薬師如来を背負い、寺士三名と共に東国巡錫のみぎり、当地を通りかかると宇田川、関口、宮の各氏に迎えられたので留って一寺を建立したという。また住民と共に荒地を開いて「堂ケ島」と名づけたといわれる。本尊の薬師如来は春日仏師の傑作と伝えるが秘仏である。本堂は昭和四十八年六月に落慶した。(新編武蔵風土記稿より)
東福院所蔵の文化財
- 青面金剛像庚申塔(伝、享保12年)(江戸川区登録文化財)
青面金剛像庚申塔
庚申塔は、60日に1度めぐってくる庚申の日の夜に、眠っている人の体内から三尸という虫が天帝に罪過を告げ命を縮めるという中国の道教の教えに由来する庚申信仰の信者によって建てられました。
この塔は、もと大進路(旧小松川村の二つの鎮守、新小岩香取神社と西小松川天祖神社を結ぶ道)の道筋にあって、昭和31年に移されました。悪疫を退治する青面金剛を中心とする江戸時代の典型的な庚申塔です。(江戸川区教育委員会掲示より)
東福院の周辺図