伊佐須美神社。大沼郡会津美里町宮林甲の神社

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伊佐須美神社。奥州二宮、名神中社、会津総鎮守

伊佐須美神社の概要

伊佐須美神社は、大沼郡会津美里町宮林甲にある神社です。伊佐須美神社は、崇神天皇10年に四道将軍が当地方に派遣され、また古事記によると建沼河別命と父大毘古命が当地方で合流したことから相津と記録されるようになり、建沼河別命と父大毘古命とが国土開拓の神として伊弉諾尊・伊弉冉尊を天津嶽に勧請したといいます。その後博士山、明神岳への遷座を経て欽明天皇13年(552)当地に遷座、建沼河別命・大毘古命を併せ祀ったとされ、延喜式神名帳にも名神大社として記載される式内社で、奥州二宮と称されていました。明治維新後の明治6年には国幣中社に列格、戦後には別表神社に記載される会津地方随一の大社です。会津七福神の寿老福神です。

伊佐須美神社
伊佐須美神社の概要
社号 伊佐須美神社
祭神 伊弉諾尊、伊弉冉尊、大毘古命、建沼河別命
相殿 -
境内社 菅原神社、殺生石稲荷神社、白山神社
祭日 例大祭9月15日、御田植祭7月12日
住所 大沼郡会津美里町宮林甲4377
備考 奥州二宮・岩代一宮、あやめ苑



伊佐須美神社の由緒

伊佐須美神社は、崇神天皇10年に四道将軍が当地方に派遣され、また古事記によると建沼河別命と父大毘古命が当地方で合流したことから相津と記録されるようになり、建沼河別命と父大毘古命とが国土開拓の神として伊弉諾尊・伊弉冉尊を天津嶽に勧請したといいます。その後博士山、明神岳への遷座を経て欽明天皇13年(552)当地に遷座、建沼河別命・大毘古命を併せ祀ったとされ、延喜式神名帳にも名神大社として記載される式内社で、奥州二宮と称されていました。明治維新後の明治6年には国幣中社に列格、戦後には別表神社に記載される会津地方随一の大社です。

境内掲示による伊佐須美神社の由緒

伊佐須美神社の創祀起源は悠久二千有余年の昔第十代崇神天皇十年四道将軍派遣の時に始まり古事記には『東の方より遣けつる建沼河別、父大毘古と共に相津に往き遇ひ給ひき故れ其地を相津と謂ふ』と記録されている如く会津地方発生の伝承社であります。
即ち往き合い給うた時国家鎮護の為、国土開拓の祖神(諾、冉二神)を会津高嶺の整地天津嶽(新潟県境)に鎮斎場されたのが始まりと伝えております。その後博士山、明神岳を経て欽明天皇十三年(五五二)当地に御鎮座されたのであります。
その時大毘古命、建沼河別命二神も合祀奉斎されて以来千四百有余年、歴朝はもとより歴代藩侯、別けても会津松平藩祖保科公以来格別の崇敬と庶民の崇敬殊の外篤く、延喜式内『名神大社』光格天皇宣下『宇佐須美大神宮』として崇められ、又戦前は国幣中社として官祭に預り御社殿の奉修、改築、社領、宝物等の寄進が相次ぎ会津開拓の祖神を祀る古大社にふさわしく、今尚広くあらゆる殖産興業を守護したもう御神威のもと衆民の崇敬は深く厚いものであります。(大沼郡教育委員会掲示より)


伊佐須美神社の周辺図


参考資料