岩月町大都八幡神社。岩崎村の平田三平が再建、旧指定村社
岩月町大都八幡神社の概要
岩月町大都八幡神社は、喜多方市岩月町大都にある神社です。岩月町大都八幡神社の創建年代等は不詳ながら、源義家が石清水八幡宮を勧請したとも、永和3年(1377)に勧請したとも伝えられます。天正年間に伊達氏の侵攻により社殿焼失、文禄2年(1594)に岩崎村の平田三平が社殿を再建、上杉氏より社領を安堵され、松平氏まで続いたといいます。明治5年村社に指定されていました。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 應神天皇 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 喜多方市岩月町宮ノ前八幡 |
備考 | - |
岩月町大都八幡神社の由緒
岩月町大都八幡神社の創建年代等は不詳ながら、源義家が石清水八幡宮を勧請したとも、永和3年(1377)に勧請したとも伝えられます。天正年間に伊達氏の侵攻により社殿焼失、文禄2年(1594)に岩崎村の平田三平が社殿を再建、上杉氏より社領を安堵され、松平氏まで続いたといいます。明治5年村社に指定されていました。
「福島県耶麻郡誌」による岩月町大都八幡神社の由緒
八幡神社
一祭神:應神天皇
一所在:岩月村大字大都字宮ノ前鎮座
一由緒:社傳曰慶徳中奥羽の役源義家朝臣爲祈願山城國石清水の神像を模し此に祭ると云。而して文保二年九月十五日神門廻廊等を改造す。其後年月を經て宮殿破壊せるを文禄二年三月當郡岩崎村平田三平之を修補せり。然るに天正年中伊達氏蘆名家を襲ふ時兵火の爲め社殿等灰燼となり社記亦失ふ故に不得其詳。後慶長三年上杉氏會津を領するに及て舊に依て社傍の山を寄附せらる。其後領主松平氏に至ても舊例の如し。時に明治五年壬申の歳神社改正に依て村社に列せらる。
一勧請:年月不詳
一祭日:九月十七日(「福島県耶麻郡誌」より)
新編會津風土記による岩月町大都八幡神社の由緒
相傳て永和三年に勸請せりと云其後天正中兵火のために焼亡す文禄二年岩崎村平田三平と云者再興せしとそ(新編會津風土記より)
岩月町大都八幡神社の周辺図
参考資料
- 「福島県耶麻郡誌」