喜多方出雲神社。旧称総社宮、旧郷社
喜多方出雲神社の概要
喜多方出雲神社は、喜多方市字寺南にある神社です。喜多方出雲神社の創建年代等は不詳ながら、口碑によると、安倍晴明が正暦年間(990-995)当地方を訪れた際、当地方が肥沃な土地柄であることから将来繁栄するよう大国主命を勧請して創建したと伝えられます。近郷の尊崇を集め、総社宮と称されていましたが、明治4年に出雲神社と改称、郷社に列格していました。
社号 | 出雲神社 |
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祭神 | 大國主神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 例大祭8月10日 |
住所 | 喜多方市字寺南2628 |
備考 | - |
喜多方出雲神社の由緒
喜多方出雲神社の創建年代等は不詳ながら、口碑によると、安倍晴明が正暦年間(990-995)当地方を訪れた際、当地方が肥沃な土地柄であることから将来繁栄するよう大国主命を勧請して創建したと伝えられます。近郷の尊崇を集め、総社宮と称されていましたが、明治4年に出雲神社と改称、郷社に列格していました。
「福島県耶麻郡誌」による喜多方出雲神社の由緒
出雲神社
一祭神:大國主神
一所在:喜多方町字寺南鎮座
一由緒:不詳。舊神號總社宮明治三庚午年出雲社と改稱
一祭日:八月十日(「福島県耶麻郡誌」より)
新編會津風土記による喜多方出雲神社の由緒
村西にあり祭神大山祇神埴山姫神なり鎮座の年月詳ならす境内に市神石あり注連を張て不浄を遠さく
社傳云。
天正年中數々兵變に罹り古記録等悉く烏有に歸したるを以て町村内に諸書を蒐集抜記し又神社に關する古老の口碑をも聞載僅に左に録する事を得たるを以て社傳とす
人皇六十一代朱雀天皇の天慶年間平将門滅亡後其餘黨四方に散逸し遁れ来て此地に潜居し高丘を平け山野を拓き農業の業に就く降て六十六代一條天皇正暦年中安倍晴明當國に下降し此地は将来繁榮すへき地相なるを以て國土開墾の神則ち出雲大社に座す大國主命を奉斎して此地の總鎮守となす其の靈驗の著しきを以て人民大に尊信し遠近の國郡より参詣するもの年月に増加し人民蔓延竟に町ろなる故に其御神徳を貴ひ總社神社と尊稱し明治四年出雲神社と社號を改め郷社に列せらる(新編會津風土記より)
喜多方出雲神社の周辺図
参考資料
- 「福島県耶麻郡誌」